2017年06月11日

さみしくない音程


音程が不安定な生徒に対してのアプローチ。

スケールにきちんと取り組むようにとか、チューナーを使って確認するようにとか、もっと自覚してとか。かつては、ピアノでコードを弾きながら生徒がスケールを吹くレッスンをしたりもしていた。

全て生徒に「気づいてチョイスするように」という気持ちがこもっているが、今日のレッスン中にふと


「彼自身が、自分の音程に対して色合いを要求しなければ、いくらスケールやチューナーたちと取り組んでも変わらないのではないか。それなら曲の表現に対するアプローチの方が、音程の改善に繋がるのでは?」


と思った。


たとえば料理教室。美味しいものを作りたい、それを食べさせたり食べたりしたいという気持ちがあまり無い状態、料理が出来ないので出来るようになりたいという気持ちだけなら、ノウハウをゆっくり知っていっても、本当に美味しいものを作れるようにはならないだろう。ましてや人に「行ってきなさい」と言われてなら余計。


音程教室なるものがあり、なんだか音程悪いみたいなので良くなりたい、という気持ちだけで行ってもだめな気がする。先生が「君は音程が良くないから、教室に行って習ってきなさい」と言ったとして、そこにチューナーはじめ素晴らしいノウハウが数あったり、音程改善強化合宿みたいなのがあったとしても、その音程を使って感情の色合い豊かな表現をしたい欲求自体が本人になければ、本物の音程にはならない気がする。


音程の存在理由とは、感情の色合いを表現すること。


料理を、まずくなく食べれれば良いのだという取り組みと同じように音程と向き合ったなら、それはあまりにさみしく感じてしまう。

人の心は、さみしくない音程こそを聞きたいのだ。


レッスン

posted by take at 18:57| 活動報告