2017年06月09日

オペラシティにて


ふと思うことには必ず伏線があるのだろう。時間をかけてコップに溜まった水が溢れ落ちる瞬間なのかもしれない。たとえそれが、それまでと違う向きを向いている思いだったとしても。



僕は、仕事しぃではなくて音楽家を育てるべきなのだろう。

プレイヤー希望者が飽和状態で、更に即戦力が求められるため、査定が厳しくなっているのは日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも同じようだ。演奏家として身をたてたい、トロンボーンを職業にしたい、プロの演奏家になりたい。ならば仕事ができる人=オーディションに通る人=不備の無い本当に上手い人にならなければならない。

自分がそうだった。だから没頭し努力し邁進した。

実現した自分が教える立場になり、その希望を持つ人に対して現場で必要なことがわかるので、それを伝え要求しようとする。

「仕事ができるためには、これができなくてはならない。そして、そのメンタリティではなくもっと求め自分に厳しく……

しかし、僕はふと思ってしまった。

演奏家になるかどうかは、その人の運命であり、少なくとも僕が希望することではない。仕事ができるようになるため=魅力的な演奏ができるために伝えることはもちろん伝えるが、それ以上に必要なことは、若者たちが、彼らの喜びでもって音楽の素晴らしさを表現すること。とにかく心を浸して演奏で歌うことではないだろうか。


きっと音楽業界から離れている人であればあるほど、当たり前に聞こえ「何を今さら言ってるんだ」だろう。

しかし即戦力を求めてしまうのは、我々の分野だけでなく全ての業種に渡っているようなので、現代人が陥っている、生産第一主義がもたらす本来の幸せを見失う種になってしまっているようなことだから、理解してもらえる雰囲気もあるに違いない。

音楽は商品にもなりうるが、本来は心を潤す表現でしかない。

なんだか技術者のような奏者を育てる雰囲気を作っていやしまいかと、冷や汗のような焦りと共に猛省してしまいそうだ。

音楽の場面に必要なのは、表現者たること。技術者として長けるかどうかは、本人の生き方次第。


いろんな意見があるだろう。しかしふと


仕事しぃではなく、音楽家を育てなければならないと、思ってしまった。


N響本番

posted by take at 11:41| 活動報告