2017年05月11日

退屈しないために


僕の生徒の話ではありません。とある大学で教えている先生から「全然練習しない生徒がいる」と聞きました。

レッスンにきても、全く吹けないと。本人に聞いても周りに聞いても、全然練習してないとのこと。

レッスンする方は辛いでしょうね。音大には自分の意思で来たのだから、意欲のみならず目的意識もなにもなくなってるって「なんだそれ?」でしょう。

楽器ケースも開けてない、そもそも大学にいないとか、先生としては自分の歩んできた道のりと違いすぎる雰囲気に、ガックリ通り越して、どう相対していいかわからない感じでしょう。

その先生は「要求するレベルを大幅に下げた」と言ってました。そうすることで少しでも「出来る喜び」を感じてもらおうと。自分自身のフラストレーション軽減とはいえ、プライドも崩れるような、正直涙ぐましい話です。


僕は話を聞きながら、少し違う観点で感じていました。


その学生「退屈してるんだろうなあ」と。


退屈するか充実するかは自分次第。もちろんそうですし、様々な目的意識やスキルの全ての学生が退屈しない環境はかなり難しいでしょう。

しかし僕自身、あれこれ楽しいことをやったり、忙しく義務をこなしたりしながらでも、たまにある退屈な時間はかなり辛いわけで、本来充実した学びと共に楽しいことに溢れていた方が良い大学生活が退屈だと、あの世代はかなり辛いだろうと思うのです。

高い学費払ってる親も、知ったら涙涙です。


退屈しない環境。

プログラミングされていること、要求されていることが、自発性と共にこなしていけるもの。
要求される目標が自分自身の目標になる、自身自身の目標こそを要求されるという辻褄がある。
長すぎないスパンで、新しいことに取り組むことになる。
1人で、数人で、大人数で、同じ専攻の仲間と、違う専攻の仲間とやることになる。
スキルが低くても、辛くならなくてすむプログラムがある。
スキルが高い人が、正統的に認められるタイミングがある。
競争がある時間と無い時間がある。
専攻の多面性をまんべんなく学び、試し、発表し、評価し、評価される。
友達がいる。
できれば恋人がいたりする。
酒飲み仲間、飯食い仲間がいる。
先生との関係が強い負担にならない。
褒められたり怒られたり。


いろんな力が作用してはじめて退屈しない時間になるだろうが、やはり実現したほうががいい。忙しければいいというわけではなく、休む時間や孤独な時間ありながらのトータルバランスかなと思います。


川越へ

posted by take at 14:07| 活動報告