2017年05月31日

感情的な音色


「感情的」を調べると

1 感情に関するさま。「二国間には感情的な障壁がある」

2 理性を失って感情をむきだしにするさま。「感情的なものの言い方」⇔理性的。

と出る。

感情自体は「嬉しい」でも、様々なテンション、テイストがあるように数限りない種類があり、人間の言葉だけでは表しきれないほどだと思うが、感情的となると、理性を失っているような限られた状態だけを指す。これは不思議な話です。


音は美しくありたいし、音程やリズム、アンサンブルが洗練されていることも望むが、実は音や音色が感情的であってほしいと思う。

これは、理性を失ったような乱れた音という意味ではなく、私たちに内在する無数の感情が音色にのるということ。

つまり音楽の場面に合わせて音色が変化し、あたかもその色に合致するような人間の感情をまんま音にしているような、多彩で雄弁な演奏。


そういう意味で、感情的な音色で彩られた演奏をしたい、してほしいと思うのです。


ジパング、川越へ

posted by take at 22:02| 活動報告

2017年05月30日

アジアンな味やん!


深夜番組で芸人たちが、自分のお気に入りの『世界の三大料理』について議論していた。

「和食ははずせないでしょ。後のふたつ……」からスタート。

まあ、和食は外しようがないですね。刺身や寿司だけでなくうどんそば、カレーやラーメンまで和食と言われて、それでも三つから外せる日本人いたら、もう外国に暮らした方がいいですね。

スタジオの大勢に支持されつつあった意見が「あと、中華とイタリアン」と。これには納得と賛同の声多数。

それに対抗して槍玉に上がっていたのが、バナナマンの日村。設楽の「日村さんは、あと韓国とタイって言うんですよー」に「え゛〜〜〜っ」の声が大々的に上がる。

でも僕はタイはともかく、最近の韓流食事へのハマり化からして、韓国はわからなくはない。というか、サムゲタンもチョングッチャンもサムギョプサルも、ハクサイキムチもカクテキも捨てがたい。最近では、韓国焼酎「チャミスル」まで好きになる始末。

発酵文化、混ぜ文化の料理に個性と奥行き、何より簡単に作られるわけではない、手の込んだ辿り着いた料理感を感じるのです。日本人は、シンプルな素材の旨さはもちろんですが、調理するなら大雑把ではない感がやっぱり大事でしょう。


フレンチは以外に「う〜ん、ないなあ」という意見。なんだか敷居を感じてしまうのと、料理人の「作品」感が強くて、身近に感じにくいんですかね。シェフたち、泣いちゃいますね。いや、美味すぎる、ということで。

アメリカも「ない」と言いながら、焼肉とステーキなら「最近はステーキなんだよなあ」なんて意見も。これは昨今の、美味安ステーキ屋増殖の流れもあってでしょう。五反田がステーキメッカになんて意見も聞いた。


僕は、和食、中華、韓国かなあ。イタリアンもいいが、なんか味わい「深さ」は感じにくい。


……あ、結局アジアの隣国。近場の民族料理がいいということか。アジア人なんだなあ。

皆さんはいかがですか?結局どこの料理がお好き??


川越へ

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2017年05月29日

人間を証明


音楽は人間だけのものだ。他の動物のものではなく、自然のものでもなく、地球のものでも宇宙のものでもない。実は人間独り占めの音たち。それは音楽が「感情の産物である」ことから明らかです。

そう、人間だけに内在する感情が産み出している。


演奏する人は、自分がドライで情緒の薄いつまらない存在ではなく、感情豊かで幅も奥行きもある魅力的な人間であることを、曲調と一体となった「音と音色で!!」証明しなければならない。

演奏を聞かれて無感情、ないしは冷徹、無慈悲な人間だと思われたならチーン!である。ずうっと綺麗な音出してるだけとか、変化しない印象ばかり残るとか。


音楽を演奏する道具である楽器の存在理由、それを利用し音を出す自分の行為の意味が、この証明以外にあるだろうか?


大塚へ

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2017年05月28日

つめ切り


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家の中のもの、年月と共にあらゆるアイテムの新人が採用されていっても、そんな中ず〜〜〜〜っと変わらず居続けてるものってありますよね。

うちは、洗面所の横にある小さな黒いゴミ箱がそう。これは独身時代から使ってた気がするので、30年選手じゃなかろか。正確には覚えてないが、まあとにかく長期に渡って汚れ役として頑張ってくれている。ティッシュや綿棒をいくつ受け入れてくれたことか。感謝状あげたいくらいぢゃ。


もうひとつがですね、「つめ切り」なんです。

こいつもいつからいるのかはわからないが、ず〜〜っと我が家にいる。

で、僕の爪、こいつでなきゃダメなんです。

実はこいつの後にもいくつか新調したことはある。外出先や旅先で急に必要になり買ったり、あまりに長い付き合いなので無くなるのが不安になり買ってみたり。

きっと、よっついつつは買ったのだと思う。しかしそのどれもが、この古女房にとって変わらないのです。

「切れ味わるいのか?」

い〜え!逆にこいつよりいいくらいで、スパッとシャキッでプチッといったりする。でも、なんだか落ち着かないんですね。

つめ切りっちゃあ、気持ちいいというより、深爪等多少危険を伴ってもいるので、緊張集中してる気がします。

切れすぎるのは身体が恐がっているのかもしれないが、なんだか気持ちよくない。その点この竹馬の友は、みょーな安心感がある。


「わかってるよ。お前はこれくらいの力で、こんなタイミングで、こういう切り口になるよう、こんな手応えと音がい〜んだろ。わかってるよ。お前のことは、なあああんでもわかってるさ、プチっ!!」


つ、つ、つめ切り〜〜〜〜、ありがと〜〜う(号泣)

誰がいなくなるって、こいつがいなくなるのは、本当困るわあ。大事にしよ。


NTTレッスン

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2017年05月27日

いくさの言い草


大学時代、先輩から飲まされ潰されるというオフィシャルな会にて。

真面目(?)に飲みきり、主旨に反せず(?)潰れていくあたし。もうろうとし倒れている耳元で、同じように倒れている同級生が呟く。

「バカだなあ、マジに飲むからだよ。ある程度飲んで潰れたふりすりゃいいんだよ」

薄れいく意識の中

「なんやねんそれ。そんなん、む、無理………」

当時の僕は、そんな高等技術(?)はもちあわせていなかったし、そもそもそんな発想自体なかった。



時代劇でも現代抗争劇でも、テレビでよく見る場面。

手下たちは、弓矢や玉が一発当たると直ぐさま倒れ息絶えてしまうが、主人公や敵のボスに近いキャラであればあるほど、直ぐにはやられない。

矢や玉を幾度浴びても倒れなかったり、喋ったり、遺言を残したり、この上ない愛を告げたり、場合によってはタイムラグをもって不意に逆襲してきたり。信じられないほどのダメージを受けながら、それなりの時間は経ってだろうが、驚くことに生きていたり。

「あ、あんだけ切られて生きてる、強靭過ぎる………」

手下たちは一撃なんですけどね。

きっと、戦に対するやる気と執着が違うのだろうという意見を聞く。主人公のような人たちは、大将か幹部だったりするから絶対勝つという意欲に溢れてて、手下たちはそこまでではないのだろうと。


現実的にはなんて話にもなった。

手下の中には、切られてはいるが実は全然大丈夫、でもそのまま倒れて死んだふりなんてのもいるんだろう。場合によっては、頭の「いけ―――っ!」で、矢が跳んできたり、鉄砲がパーンと鳴ったら、当たってもないのに倒れて、一通り終わって静かになったら立ち去る、なんてのもいるのだろうと。


そ、そんなんあかんやろ!!! そんな卑怯な真似するんやったら、最初から戦にや参加するな!!


そんなだから、真面目に潰れてたんですね。

現代には全くそぐわない、全てが戦国時代の話でございます。

不条理のパーセンテージは高かったが、深く疑問をもたず、いろいろ飲み込み、勢いに変える時代でもありました。

頭が悪かったといわれればそれまででございます。


アマチュアオーケストラ指導

posted by take at 17:21| 活動報告