2017年04月27日

かなりの時間繰り返してある瞬間


僕は


「大学生には時間が必要だ」


と思っています。

何でもかんでも、あの頃は良かったと言うつもりはないが、でも今とはかなり違った。

トロンボーン専攻生として大学生になり、一般教養他の授業出席、単位取得法に関しては、決まりはあれど縛りがユルユル。そもそも総授業期間は半年を切っていた。つまり一年のうち半年以上休みだった。

そこまでがいいかどうかは置いておいて、現代の大学生は忙しい。文科省も、追い込まれるように多忙に学びスキルを上げよと言っているように見える。暇にすると、だらけるだけでしょとの信頼のなさなのか?

たった四年間の学びで、社会に出た時に即戦力になれと。よって専攻もだが、それ以外の社会性スキルも、有能な教師により「教え」「伝え」「身につける」ことを主眼にプログラムしている。


でもですね、やっぱり自分自身で気づき変わることが一番大事だと思います。

ひとつ教わると、ひとつ身につける力を失う。つまり、ひとつ教えると、ひとつ身につける力を奪うことになる。



なんでもそうだと思うのですが、長い長〜いなが〜〜〜〜〜〜い時間、繰り返し繰り返し見つめることで初めて見えてくるものがある。

やり方や答えを教えてもらえず、教わろうともせず、ただただじっと見つめ続け、疑問に持ち、また見つめを繰り返し、述べ数十時間数百時間同じものを見つめて、やっと、やっとこさ見えてくるものが。

それを教師として教えることは簡単(伝わるかどうかは別にして)。しかし、


「見つめ続けて気づいた」


ということこそ大事だし、そんな経験こそが人間には必要。

トロンボーン専攻だと、素晴らしい演奏を繰り返し聞き、自分の演奏も繰り返し繰り返し聞き、ロングトーンでもリップスラーでも同じトレーニングを繰り返し繰り返し繰り返し述べ長時間経験し、本番も繰り返し繰り……

そうしにくいカリキュラムの日常だと、自分で自分を変えることが苦手な時短知りたがり、自分を信じにくい冒険不得手、情報流され暇潰し依存、うわべ社交の内向的もんもん型の人間を作っていく。


そうではなく、生涯逞しく変わり続けていく力こそを養う期間として、


「時間こそがある」


ことが、大学生には必要なのだと思います。


休日

posted by take at 10:05| 活動報告