2017年04月23日

作品表現の本筋


皆さん、いい天気ですね(@品川)。『2001日目ブログの旅』も、元気よく四方山りたいと思います。



テレビ、映画、ゲームまで、画像は細部まで色鮮やかでクリアーに見える方向へと、人類は向かっている。今までには無かったもの、新しい刺激からの喜びとして選ばれているのは、そんな

「見えなかったものが見える」

ということ。

実際ブラウン管から液晶に変わっていった時、ハイビジョン技術を目の当たりにした時は、快感度数が高かった。

ただこの快感は、「今まで出来なかったことが可能になったということはこれからもどんどん変わっていくのではないか」という未来への期待も、喜びの中のかなりのパーセンテージを占めていたのだと思います。

そんな画面で見るもの、その大半は実は「作品」であり(ニュースとかではない限り)、その魅力の本筋というのは、細部まで見えることとは違うところにあると思います。

それは、メッセージであり流れであり、哲学であり演出であり、演技であり言葉であり、自然であり人であり、努力であり愛であり。音楽も、その一端を担っているでしょう。


そんな音楽の演奏にも、実は似たことを感じます。

CDになって、それまで聞こえなかった音が聞こえてくる。演奏家も変わり、やはり新しい音が聞こえてきたり、鮮やかな技術を聞くことができるようになったり。そんな風にオーケストラをハイビジョン的に聞かせることができる指揮者が出てきたり。

ただこれも、その音楽の「本当の魅力。それを体験できる表現」というのとは、実は違うところにあるものだと思います。

もちろん価値は高いと思いますが、本筋ではない。


実際数十年前の、現代よりは拙い演奏技術、録音技術から聞かれる演奏からこそ、心底感動することは多々ある。

そこにはメッセージがあり流れがあり、哲学があり歌があり、感情があり感傷があり、人生そのもののような積み重ねと頂点があったりする。

インターネットからの時短崇拝の現代だから、その時々が鮮やかで艶やかというのを目指すのはわかるが、人間の喜びの本質は、違うところにあるはずです。

それは「飽きる」「慣れる」とは離れたところにあるもの。


とにかく最初から見事にテンション高くわーわー歌い、常に聞いたことがないものが聞こえたりする指揮者が増えて久しいが、実は90年代、サバリッシュやシュタインとやっていた時にあった、フィナーレの一番いいとこが来た時


「そこへつれてきてもらった感」


からの感動というのは、たとえ稚拙な技術とクリアーではない響きと共にあったかもしれないあの時代でも、


音楽作品の真の感動


として、はっきりと鳴り響いていた。そのことは決して忘れずに、価値観の柱としてもち続けたい。


ブロカート

posted by take at 14:47| 活動報告