2017年04月20日

完璧なるマエストロ


指揮者というのは、自分の音楽観からのオリジナルのやり口をもっている。それが、全ての作曲家の表現に対し様になるとは限らない。

よって「得意な作曲家」「他の指揮者の方が様になってる作曲家」が評価としてついて回る。

もちろん「何をやっても冴えない」という人はいるので、ある程度のボーダーを超えた実力派指揮者の話です。


指揮者本人は、気合いの入り方が違うとか、手を抜いてるなんてことは当然なくて、自分なりのやり方をどの作曲家でも貫いている(それしかできない?)わけで、あくまでも聴衆やオケマンの独断的評価にすぎないのですが。


ただ、形式がしっかりしているシンフォニー、和声感覚の変化で色鮮やかにしたものが素敵な曲と、オペラ的にドラマをちりばめた方が良いものくらいの分別で、振り方から作り方全てを変える人ってのがこれから出てこないかなあなんて、最近思っています。

自分にないものはできっこないし、無理やりやっても不自然になるかぎこちなくなるかだから、難しいですかね。

それぞれの個性を楽しむのだから、やり口に魅力があればそれでいいとも思います。

ただ、見事に表現し分ける人がでてきて、そのどれもが違っているがゆえに、作品からの感動を余すことなく引き出したとしたなら、


完璧なる理想のマエストロ


として歴史に名を残すことになるでしょうね。


N響定期練習、ジパング

posted by take at 21:21| 活動報告