2017年04月11日

音楽的メトロノーム


私たちは、身体の中に

『音楽的メトロノーム』

をもってなくてはならない。

これはメトロノームと言っておきながら、必ずインテンポで刻むとはかぎらないもの。

もちろんインテンポでも刻むのだが、時には緩やかに速くなっていったり緩やかに遅くなっていったり。急激に速くなっていったり遅くなることも。ある瞬間だけためるように時間をかけ、次の刻みが遅くくることもあるだろう。


このメトロノームがやらないこととは、例えば四拍刻むとして、二拍目が早く来たのに三拍目は遅くなり、更に四拍目は異様に早いみたいな。また常に微妙にインテンポと違うタイミングで刻むとか。

つまり不自然イレギュラーなタイミングでは刻まない。


なぜならそれは「聞き手が望まないタイミング」だから。

逆に言うと「聞き手が望むタイミング」というのは純然とある。

そんなタイミングの中でも、

「聞き手が心から感動するくらい絶妙なタイミング」

があり、それを刻むものもある。それは音楽的メトロノームの中でも極上、最上であり、それを搭載している人間を人々は名演奏家と呼ぶ。


ビートを刻むのは指揮者だけではない。器楽奏者も、このメトロノームを身体のどこかでコツコツ鳴らしながら、それに乗っかって演奏というタイミングを紡いでいかなくてはならない。このメトロノームにこそ乗っかって歌わなければならないのだ。


しかし吹き始めたり歌い始めると、このメトロノーム無しに演奏してしまう人は何気に多い。

ただなめらかに繋げれば歌っている気になり、音の移り変わるタイミングよりニュアンスの方を優先してしまう。

しかし、指揮者が上手くいかない時と同じで、どのタイミングで音が変わるかというのは物凄く大事。ある意味一番大事と言っても過言ではないかもしれない。

会話や漫才は、その内容(曲)はもちろん大事だが、発せられる間やスピード次第(音のタイミング次第)で、素晴らしくなるしぶち壊しにもなる。それと同じ。

人が喜ぶタイミングあれば、なんかもやもやしてしまう結果もある。もっと酷ければ、本人は心を込めて最大限の表現をしていても、聞き手がイライラしてしまう場合さえある。

「そ、そこじゃないだろっ!!」


音楽的メトロノームをもち、その確信あるビートと共に、早くもなく遅くもない

「絶対そこ!」

というタイミングで吹かなければならない。

それが出来るか否かで「そこそこよく吹く人」と、オーディションやコンクール、そして何より演奏会の客席から


「望まれる演奏家」


に分かれていく。


川越へ

posted by take at 19:20| 活動報告