2017年03月01日

彼女の生き方


ジャニーヌ・ヤンセン。今回のツアーのソリストで、オランダ人バイオリニスト。N響は定期でも何度か共演しているが、人気実力共にトップクラスのソリスト。今回のN響ヨーロッパツアーでもモーツァルトとシベリウスを弾き華を添えてくれている。


まあ、とにかく素晴らしいです。

音も音楽も深く、これ以上の内面の表出は可能なのかと思わされるほど演奏がものを言いまくっている。

最近の立派なソリストたちによく感じる、音の明るさ、艶やかさや技術の磐石さというものは、よく聞けば存在しているのになぜだか感じない。それより手前に、とにかく音楽的表現があますとこなく溢れ出てくるため隠れてしまう。

めちゃくちゃ上手いのに、なんと上手いことすら隠れてしまう。

とにかくソロは音楽的に流れ出てきて、オーケストラを煽るが如く。本人はオーケストラを無視して勝手に弾いているわけではないし、しかしよく聞くスタンダードなシベリウスのやり口でアンサンブルをしていくものでもなく、とにかく表現表現で没入し、オーケストラもそれに寄り添ったり煽ったり、影響受け雄弁になったり。

まあ、こんなに技術やアンサンブルやいつものやり口を忘れさせられるパターンも珍しい。

それは全て、彼女が音楽表現に没入しきっており、全てを余すことなく音に出しきろうとしているからに他ならない。


ふと冷静になると、ここまで没入して激しくなりながらも尚乱れないのは、あまりに高い技術があるからだと気づく。

しかしそれは技術のための技術にあらず、全てニュアンス、内容と一体化している。つまり彼女の技術は、100パーセントやりたい表現が生み出したものだとわかる。


普段忘れがちで、技術の鍛練こそを技術として見てしまうが、やはりこのことこそがキングオブ理想だと思わされる。


あまりに深く、あまりに心に響くその表現こそが、彼女がやりたい唯一のことであり、そのためにバイオリンがあり、そのために技術というやり口が身に付いたのだろう。

そして本番だろうがリハーサルだろうが、常に後悔しないように全てをやりきろうとしているのがわかる。その情熱のおかげで、彼女には恐ろしいほどの技術がへばりついている。

ここにも、全てがひとつになり一体化することの素晴らしさが存在している。


なんだか

高い技術のバイオリンがシベリウスの協奏曲を使って、音楽の素晴らしさでもって感情に訴える表現の価値を鼓舞する、それをやりきることを生き甲斐としている一人の女性の生きざま

そこまで全てがひとつになって見えている気がした。

これは恐ろしく素晴らしい音楽の瞬間だ。


今日のルクセンブルク、明日のパリ、その後のアムステルダムへと続くこの時間は僕に凄い刺激を与えてくれそうで、嬉しいやら失神しそうやら。


N響ルクセンブルク公演

posted by take at 16:36| 活動報告