2017年03月16日

嗚呼ペヤング


ペ・ヨンジュンは若い頃ペ・ヤングという名前だった。

かどうかは知らんが、若いカップルに二人で一つのものを仲良く食べてほしいという願いから、「ペア」と「ヤング」で「ペヤング」という名前にしたらしい。

現実は、学生や独身男性が一人下宿で食べている絵が浮かぶ。カップルというより、おっさんが一人で食べてる感じ。

あの騒ぎがあり謹慎的休暇から復活したペヤング、カップ焼きそばのキングとして君臨し続けるに相応しいファンからの待望劇で、再び日本中の下宿に戻ってきたのだが最近は


め、迷走しとる……


気がついたらラインナップ増えてました。コンビニでチラ見したら、真っ赤なパッケージが。


『激辛焼きそば』とな。

まあね、辛いもんブームになって久しい。僕には厳しいが「蒙古タンメン中本」は、人気のまっかっかやし。ペヤング自体が既に辛めだが、とんがらしテイストを足すのはまだわかるわ。まあ、ペヤングそんなにせんでも売れまくっとるやろうけど。


緑色も見えたぞ。ペヤングで緑かあ。


『わかめMAX』

…な、なんで?なんでわかめなん? ヘルシー志向か?? 女性を意識したんか?いやあのね、まるか食品株式会社わかっとらんかもしれんけど、おたくのペヤング、既に女性にも大人気やで。独り暮らしの独身女性は結構買ってかえっりょる。


『パクチーMAX』

なんでやねん?!!タイ人意識したんか?!!!いやね、日本在住のタイ人、けっこーおたくのペヤング食べてると思うよ。なんもパクチー入れんでも。いやあんた実力あんねやから、あんまり国際的に迎合せんでほしいわー、でーんと構えてやね


『ペペロンチーノ風』

どなしたんな!!何がしたいん!!!パスタになりたいんか??ガリガリ君がコーンポタージュ出した時に大いに非難した身としては、同じ気分やわあ。いらんやろ、それ。在日イタリア人はそれではなく、フツーのペヤングこそにリスペクトがあってやねー


『ソース焼きそばプラス納豆』

わっからんわー。納豆はしょうゆーことやろ。いや、前述含め食べたことないけん、味わからんゆーたらわからん。でも、ペヤングソース焼きそばと納豆…いくら納豆好きでも(イクラ納豆ではありません)、正直どーでしょー(ミスター長嶋風)


最近はカップラーメンも出してね。いや頑張っとるんはわかるけど、おたくのペヤング、そんなに増やさんでも、みんな買うから問題ないんやけどなー問題………ん?……何?この茶色い焼きそば?


『ペヤングチョコレート焼きそば・ギリ』

うわっちゃ!やってもーた。このギリってなに?え??義理チョコ???


なんしょんな〜〜〜〜〜〜!!!!


レッスン

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2017年03月15日

人間の中のリズム


「私が音楽を聞くのは、自分のリズムを整えるためです」


そうかもしれない。

僕がイメージしたのは、例えば部屋が散らかっているような状態。いいこと嫌なこと、嬉しいこと悲しいこと、穏やかや苛立ち、あれこれ経験し、心の中が散らかってしまう。これは疲れてしまっている状態。

そこで音楽という振動を聞く。

自分の心情という色合いにヒットする感情豊かな演奏、つまり感動するような演奏を聞くと、身体の中も応えて振動を起こす(震え+さぶいぼ)。それが嬉しいものであればあるほど、細やかに振動する。

すると、ふるいをかけたように心の中が整頓され、エネルギー満タンの新品のような状態になる。そこには、未来へと生きていく活力がみなぎっている。

かつてとても感動した演奏でも、心があまり散らかってない状態だと、聞いてもそこまで震えないかもしれない。



「私が音楽を聞くのは、自分のリズムを整えるためです」


人間は心臓のリズムと、感情の起伏、心の色合いをもつ生き物だ。だから人生と一緒に流れるように並走するものとして、リズムや起伏、音色でできている音楽を生み出したのは、自然な流れなのでしょう。


心臓の鼓動、そして生活や感情のリズムを整える。

あれこれ色が混ざってしまい濁った心に、感動という細やかな振動が与えられることにより、クリーンな色(透明?)に浄化される。


人間には、衣食住だけでは整わない心のリズム、色がある。それを健全にするために、私たちには音楽がある。祖先は生み出すべくして生み出したのだ。

全ての人は散らかっては整え、乱れては整え、疲れては整えを繰り返している。

人類の音楽は、世界のどこで生きている人たちにとっても必要なものだ。被災地には当然だが、東京でもベルリンでもパリでも、衣食住が満たされながら、しかし苦しんでいる人たちはいる。


休日。

posted by take at 17:29| 活動報告

2017年03月14日

ほぅ…


「私が音楽を聞くのは、自分のリズムを整えるためです」



演奏家でも作曲家でもない、ある建築家の言葉。聞いた瞬間まるで疑問もなくするっと入ってきて、その言わんとすることの考察が始まりました。

初めて聞く意見に、強い説得力と、真理を垣間見れるかもしれないという喜びを感じたのです。


レッスン。

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2017年03月13日

胞子のように、マグマのように


技術は世界を華やかにする。大都会のビジュアルは、技術の博覧会のよう。

しかし、子供から老人まで全ての人の心を揺さぶる本物の感動は、空にあり森にあり、土にあり海にある気がします。

そしてそこには技術ではないものがある。

それは色であり匂いであり、私たちの命を育む糧。

全ての人は、自分を産み出したそんな景色たちと自らの感情を照らし合わせる本能がある。

ある瞬間、それらの凸凹が合致し、出会うべくして出合うタイミングに巡り会うと、その瞬間こそ人は心からの感動を得るのでしょう。

そういう意味でも、やはり本当に大切なのは技術ではないのだと思います。では……


感受性、表現意欲……


言葉で全ては表せませんが、自分の心が自分の欲求に我慢できないほど揺さぶられ、マグマのように何かが沸き上がる。

自分の存在理由を示そうと植物が空間に胞子を放出するように、嘘偽りなき自分の表現の全てを余すことなく放つ。


もちろん技術は大切で、不必要だったり悪者だったりあろうはずがない。


しかし私たちの人生物語、その主人公でないことは確かである。


休日。

posted by take at 22:24| 活動報告

2017年03月12日

被災地の七年目


被災地大槌は変わった、という話を聞いていたが、僕にはさほど変わってなく見えた。これは、僕の思う「6年も経ったらこうだろう」という町の姿とはかけ離れた姿に見えたからだ。まだ更地にいくつか建物があるだけにしかうつらなかった。


地元の人に「時間がかかりすぎてますね」と投げると、「いや、速いですよ。こんなに良くしてもらってありがたいです。チリ地震のあとなんて、6年でも全然変わらないと聞きます。自衛隊にも警察にも、国にもとても良くしてもらってます。本当に感謝です」という意見を聞いたが、僕にはそうは感じにくかった。それは僕の「こんな惨状に陥った人たちには、もっと普通の生活に戻るべく、スピーディーにケアされるべきだ」という気持ちがあるからだ。実際仮設で暮らしている人はまだ多いし、町に戻らない人が多い現状、震災後に自ら命を絶つ人がいる現実がある。町の姿にはなっていないし、活気や笑顔は足りていないようにしか見えない。


速い、遅い、暗くばかりなっててもしようがない、明るく前向きに、酷い、絶望、現状に感謝、憤慨、楽観的、悲観的……

本当に意見は様々だ。余裕のある人ない人で、言うことも変わってくるだろう。


今年の3月11日は、津波と地震のリアルな映像が、例年より多くメディアに流れた印象。そういう時期なのかもしれない。これまた「現実だからもっと流すべきだ」「見たくない、語りたくない、忘れたい人がいるのに」「子供には見せたくない」等様々な意見がある。

僕は、3月11日、1年に1日のみならずもっと頻繁に流すべきだと思う。時間が経ったこれからがこそがいいのかも知れないが、もっとそういう気運になってほしい。

「風化させてはならない」と言いながらメディアは流さず、結果現実感から遠退いていく方を選んでいる。

被災地の子供たちですら震災そのものの現実を知らない世代になり、また語り部もいなくなっていってるのに、率先すべきメディアが目の当たりにする機会を作らず、まさしく封印しているムードにすら感じられ。

「私は、映像はどんどん流してほしい。もちろん子供たちに教育はしてるが、目の当たりにする機会がない。あの現実あっての今なんですから。これから日本はどこでもおこりうるんだから、あれを見てちゃんと逃げてほしいし、防災をしてほしい。いろんな意見はあるが、私はそう思ってます」

前述の地元の人の言葉。


旧役場は壊すべき残すべき論争がありながら、残っている。見るのが辛いという人の意見を汲んでいるような流れもありながら、でも6年間花がたむけられ続けている。

僕は残すべき派だ。


いろんな意見がある。その人の割合も年月と共に変わっていく。


僕は常に、自分の印象と価値観を信じ判断し行動したい。

いくら変わった部分あれど、変わらなければならないことにはまだまだ時間がかかっている。そういうふうにしか見えないし、思えない。

楽観的なムード作りは大事だが、同時に希望をもって戦うためのエネルギー源、「本物の思いやり」を生む関心は足りていない。

被災地大槌の人が述べる謝辞にこそ、周りに対する思いやりと関心がこもっているように感じられ、感動しながらも、決意新たに大槌をあとにしました。


帰京。トロンボーンフェスティバル、ピースオブイヤー審査。

posted by take at 19:13| 活動報告