2017年03月26日

パクチーの侵略

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ローソンで狼狽(ろうばい)して損をするところだった。

平成の世の中はあらゆる商品が登場する。コーンポタージュ味のアイスが出れば、チョコレート味の焼きそばも。

ただ、プリンに醤油をかけてウニだと言っているようなところがあり、遊び心と言えばそれはそうで、「ユーモアもペーソスもわからんのか」と非難されれば反論できなくなるが、でもお金を払って買えというものとしては、そのスタンスには賛同したくない、僕は。


で、いきなりパクチーが飲み物になっている。葉っぱがオシャレなドリンクに。

「ハーブだってティーになっとる!!」

そ、そらそうだ。

いや、これは遊びではなく本気だろう。僕がローバイしかけたのは、パクチーがここまで人類の舌を侵食したのかというとこ。

アンチよ、まだいるのか?どこへ行ったのだ?

ジパング岸良が「最近はまって、毎日山盛り食べてるんです」と聞いた時は、びっくらこいたものだ。

もしかしたらパクチー星人の地球侵略が、あまりに上手くいっているのかもしれない。

ネコのマタタビじゃないが、そのうち人類が戦意を喪失したら、パクチー星人が攻めてくるタイミングなのかもしれない。

気を付けながら、世の中の動向を見つめる必要がある。


とにかくこの飲み物は………うまい。


休日

posted by take at 18:15| 活動報告

2017年03月25日

安定感こそ


良い演奏をするために「上手い」という要素は不可欠だ。上手くても響かない演奏ももちろんあるが、良い演奏にはもれなく上手さがコーティングされている。

そして上手さには「安定感」が不可欠だ。安定感からは「安心感」が感じられる。安心感があっても響かない演奏もこれまたあるが、心からの感動は不安なきパフォーマンスからしか得られない。

そんな安定感。自分の演奏に必要なことを、誰もが潜在的に知っている。

ただ、本物の安定を理解し、そのためにこそ必要なトレーニングができているかどうかは疑問だ。


本物の安定感は、大変に厳しい非情(情にあらず)、そんな淡白さと同居している。

その必要性を理解し、トロンボーンという機能と口周りの現実をシビアに見つめられる眼を持つ重要性を感じる。


録音から感じる自分の理想とのギャップは、全て不安定さとして見つめることができる。

安定感に一気にシフトし、その音と技術で感情を込める。

演奏から聞こえるべきは、ほとんどを占める淡白さと、少ない揺らぎなのかもしれない。

そこに、管楽器の表現の極みがある気がします。


安定感に対する、強い欲求と、トレーニングの目的の洗練を目指します。


N響練習

posted by take at 19:04| 活動報告

2017年03月24日

天ぷらリアン


近所にて、またいい店見つけました。食材、味、接客とても良く、値段も凄くは高くない。お客さんも、店の雰囲気に合った落ち着いた大人たち。

「いつもと違う店を」と普段はスルーしている路地に入っていくと、奥にありました。たまには新規開拓、新道歩拓は大事ですね。

北陸の幸、刺身に天ぷら焼き魚、そして日本酒のい〜い感じを楽しみました。


おっと!この時期、ちゃんとメニューも熟読しないと、気がつくとアレを食べそびれて季節が過ぎることに。


『春野菜の天ぷら』


僕は専門店で頻繁に楽しむほどではないが、野菜や魚の天ぷらは好物。この店では、『ホタルイカと春野菜の天ぷら』となってます。こりゃ食べない理由も哲学も、食べざる法律も不安も何もない。


で、天ぷら通は「天つゆではなく塩で」とのたまったりするが、僕には二つの味どちらかを選ぶことができない。

いい店はもちろん厳選された塩を用意するが、当然天つゆも吟味され尽くした絶妙な味に仕上げてくる。食材は命、揚げっぷりは魂だが、天つゆはそれらを生かすか殺すか。当然、プライドをかけて作ってくる。

そんな天つゆはフワッと広がる出汁の香りが既に素敵で、食欲も一気にそそられる。


大好物のふきのとうを軽く塩に付けて、サクッという食感にアドレナリながら歯を入れる。大人のえぐみと品のよい塩のコラボレーションがたまらない。

ふきのとうの魅力をできる限り満喫したいし、一気に食べちゃうのはもったいなく、半分くらいになった残りを軽く天つゆに浸けてみる。浸けすぎてフニャフニャするのもなんなので、半分くらい浸し再び歯を入れる。

いやあ、塩とはまた違うコラボ。一口目から更にえぐみへの愛が高まる。

う〜ん、これでなくなってしまうのも残念すぎるもったいなさ。残りひとかけくらい残し、もう一度塩へ。


いいかもしれません、塩→天つゆ→塩。


いい店といい野菜、いい職人魂を満喫するには、浮気というわけではなく、二つの真理を交互する。そんな夜の楽しみ方が大人な感じ。

純米あればなおよろし。


N響練習

posted by take at 18:21| 活動報告

2017年03月23日

向かってなんぼ


コース料理の難しさという話を以前書きました。これは義母から教わったこと。


「コース料理はメインディッシュが一番美味しく食べられなければならないのよ」


深く考察すると、なんと難易度の高いことか。

前菜、サラダ、スープ、パン、魚料理、肉料理、デザート。

もちろんメインは肉料理だが、それを美味しくではなく「一番美味しく」なのだ。

じゃあ不味いものから始め徐々に美味しくしていけば?なんて考えるが、当然そんな話じゃありません。不味いもん食べても、ディミヌェンドすることはあってもクレッシェンドすることはない。

「だから、最初から塩分含め濃い味付けはありえないのよ」

義母の言葉は府に落ちすぎる。

ただもうひとつ問題が。

お腹が一杯になっていくのである。空腹は最高の調味料なのだから、実は前菜を一番美味しく感じるように身体はなっている。様々な味を経験し、上乗せし、色足しをし、そして満腹への満足値は上昇していく。

神業に近い。それを食べると逆にどんどんお腹が空いていくとか、物足りなくなっていくとか、そんなあり得ないことが起こるなら、まだメイン最高は容易になる。


演奏もそうだ。

最初から印象が悪くスタートするわけにはいかない。後で良くなっても、特とは言えない。

しかし名曲であればあるほど積み重ねた時間、その後半のどこかで、自然と最高の感動が訪れるように作られている。

演奏が始まる前は空腹ならぬ空耳であり空心。そこに音と音楽の印象を、まさに「時間をかけて」積み足してていく。

最初から印象深く心が揺さぶられたとして、それが持続し、頂点でより感動するのだろうか?

だからといって、淡白にスタートして、それは時間の歓喜の積み重ねとして成立するのか?

ひとつ言えるのは


「だから、最初から最高の興奮はあり得ないのよ」


最高の興奮をずっと続けても、コース音楽を聞いている人はただ飽きていくか、疲れていくだけだろう。

そこには印象的な琴線への揺さぶりはあるかもしれないが、流れていく時間の魅力は、実は薄く薄ーくなっているのだと思います。

だから、最初からフンフン鼻息荒いなんてのはセンスは良くないのだろう。音も音楽もコース料理の極意も


『向かってなんぼ』


である。


クリニック
人生もかくありたいものです。

posted by take at 18:53| 活動報告

2017年03月22日

アンテイカン!!!!!


生半可じゃない安定感が欲しいと思い始めました。

ということは、更に動かない場所を増やし、力強く支える部署が必要なのでしょう。

もっとちゃんとしたイメージをもたないといけない。


クリニック

posted by take at 17:08| 活動報告