2017年02月08日

本番に向けてのなんくるなる準備


明日は、沖縄県立芸術大学トロンボーンクァルテットの第二回コンサート。このメンバーでの演奏会は最後になります。

沖縄県立芸術大学
トロンボーンクァルテットVol.2

日時 平成29年2月9日

場所 アルテ赤田ギャラリーホール

開場18時30分 開演19時

曲目
C.ヘイゼル猫の組曲より
F.J.ハイドン天地創造




楽聖の一人は風邪だったということで

「コンサートの時にひいたんじゃなくて良かったね」

と。そんな話をしたもんで、夕べの食事は病み上がりということで参加しないと思ったら「行きます!!大丈夫です。大分楽ですから」と。なんくるないようだ。


今回の四泊の滞在中、どの日の昼食で『あじとや』にスパイシーなカレーを食べにいくかの話になり、

「明日は本番だから刺激は避けよう」

と提案。今日行くことに。選べる辛さのレベル100(マックス)を検討する楽聖に

「明日本番だから、ほどほどにしといたら」

と提案。結局40にしていたが「40でも辛いです」とヒーヒーいいながら汗だくで食べている。彼はそれは想定内のはずだが、100いったらどうなっちゃうのだろう。なんくるないのだろうか。


今夜の食事の話になり、四人中二人は予定があると。

「本番前夜だから、焼肉でも行って力蓄えるのもいいかなと思ってさ」

とつぶやくと、次の瞬間全員参加になっていた。予定は沖縄の美ら海の彼方へあっという間に流れていき、なんくるないようだ。


楽聖たちは、明日の本番に向けて十分に管理された体調のもと、最善を尽くすと思います。那覇にいらっしゃる皆さん、是非お越しください。


それにしても楽聖たち、体調管理もなんくるなる。ポテンシャルが高すぎるため、何があっても明日は明日の風が吹くさ〜〜。。


沖縄県芸レッスン。

posted by take at 23:17| 活動報告

2017年02月07日

受け身は駄目だと思います


はみ出たくなくて周りと同じ物を使い、周りと同じことを言い、周りと同じことをする。


まあ、安心ですね。


特に「これが一番クオリティが高い」なんて言われてたり、新しく評判になっている物を手にする。先生やプロが使ってるものを使おうとする。確かにいいものでしょうから良い手応えもあるでしょう。


とにかく安心ですね。


ただ、みんなと同じになり、自分だけが特別に目立てたり「他の人と違うね」という評価は得にくくなるんですが、それでもいいのでしょうか。

いいんでしょうね。日本人は安心の方が大事でしょうから。実際誰も手にしないような道具や表現で、結果独りよがりみたいになってるパターンもなくはないですし。


ただ問題だと思うんですよね。

こんなにクオリティの高い物が複数存在し、本当の自分の趣味でこそ選べば良い時代に、我が感性を使わないという生き方。流行好きで、踊らされててもそれでいいという生き方。別にどんなもの使おうが、どんなこと言おうが、何をしようが、自分自身のクオリティさえ高ければ問題ないのに、そうしようとしない生き方。

どの道具でも自分が素晴らしいことが大事。
何言おうが言ってることが素晴らしいことが大事。
何しようがやってる事が素晴らしいことが大事。


それなのに、批判なきことを選びたがる生き方をしようとする。


人間は最低でも相反する二つの素晴らしさと生きている。何をやっても反対側からは批判されるのが当たり前。自分の素晴らしさが突き抜ければ突き抜けるほどそう。

だから賛否両論両方あり、自分と違う感性側からはかなり辛辣に批判された方がいいのに。それは強い強い妬みだったりするのに。


本当はそんな生き方の方が真の賛同者もおり、敵ありきな中での味方との人生の方が安心なはずのに。


沖縄県芸レッスン。

posted by take at 12:57| 活動報告

2017年02月06日

三種の神奏


アンブシュアとかアパチュアとか、結局とても大事である。


『金管のアンブシュアは息の向き含め三種類に分類できる』と、最近パイパーズ等でも発表されていたように、正しいアンブシュアは決まった一種類ではない。

ただ「こんなんはダメでしょ」みたいなのはある。

簡単に書くと、動きまくるものや、空気が歯の外側にたまってしまうもの、つまり余計なムーブメントのある安定して見えないものは良くないとなる。

そうでなく、細かい動きやフォルテの吹き込みに対しても動かない、ないしは極めて動きが少なくとにかく音が並ぶのであれば、どんな場所で吹いても良いのでしょう、鼻でも。


しかしアパチュアというものは、どんなんでもいいとはならない。大きさはどうでもいい、平べったくてもどんな形でもいいとはならない。

そんなアパチュアはアンブシュアと違って目視できない。透明プラスチックのマウスピースはあるし、リングもあるが、普段の吹き込みに対して一体どうなっているのかは正確にはわからない。

ただひとつ知っておきたいのは、アンブシュアもアパチュアも


「名手たちは、見た目の形から入ったわけではないのに、自然と理想のものになっている」


ということ。つまり演奏に対する理想が、自動的に身体の一部を理想的な形にしていったということ。(スライディングも本来そう)


結果とても大事なアンブシュアやアパチュア。実はその形に影響を与えているのは、


「息の量」「音の形」「舌のアプローチ」


このみっつ。このみっつが正しくないと、正しいアンブシュア、正しいアパチュアにはならない。このみっつが間違っている人が(あえて間違っていると書く)、上記のような癖のある形になっている。


つまり形から入っても無駄だということ。きちんとした三種の神奏がなされてないと、結果吹けないものは吹けない。


大塚へ。

posted by take at 18:14| 活動報告

2017年02月05日

やっぱりこれ


常に、自分のちょうどいいより少し頑張る


時にはかなり頑張る


すると疲れる


そして頑張るのをやめて、というか頑張れなくなり、休む


休むとやっぱり元気になる


元気になったら、自分のちょうどいいよりも少し頑張る


レッスン

posted by take at 20:24| 活動報告

2017年02月04日

完結の怖さ


長いフレーズの天敵は、1であるべき完結が複数あってしまうこと。そのことに魅力を感じてしまうこと。

歌の完結。息の完結。印象や喜びの完結。

そして、自己完結。


川越へ。

posted by take at 19:57| 活動報告