2017年02月23日

話の聞き方


人の話を聞くときのメンタルのタイプ。なんだか分類できる気がして、我流な考察ですが。


A:相手の話。意見を言うその人の価値より、とにかくそれについて自分がどう考えていて、そんな自分の方が正しいことの方が大事。話を聞きながら、同時に自分の意見を頭の中に派生させていく。器用な人はきちんと相手の意図を汲んだ上で話を被せる。「そうだよね。で、もっと言うとこうでこうだよね」みたいな。更に自分が大事な人は、相手の話をよく理解できぬまま被せるので、「いや、そういう事が言いたいんじゃないのに」と思わせてしまう。



B:自信のなさも相まって、相手の発言を聞いて「ほう、なるほど」と受け入れることに支配されてしまう。一見従順で優しいキャラクターになるが、そこで思考が止まってしまい、受け入れたものも時間と共に流れていってしまったりする。自分の意見と比べたり擦り合わせたりが苦手なので、自分の本当の感性には反映されきらないのが原因ではないかと思う。



最近理解できたタイプとして

C:まずは受け入れてみる。余程のことでない限り反論を表明しない。心からの同意はそれなりに頷き、またそれらしいことには小さく頷き。わかりにくいことには、反応を控え静思するような。少し時間が経ってから反芻。よく考え、心の中で賛同したり、「やっぱりアレ違うな」と。きちんと自分はもっている。


僕はAのたち悪い系。Cを目指したい。


N響みなとみらい特別公演。

posted by take at 18:39| 活動報告

2017年02月22日

遅くではなく速く


一番エスプレッシーヴォしたい場面で、テンポを落とし、たっぷり歌いたっぷり聞かせるという感覚と共に生きてきた。歌うならインテンポか遅くするか。

あえてテンポを速くしていき、しかしさっぱりとあっさりとではなく盛り上げるというやり方、激しくたたみこみ追い込む場面とは限らず、とにかく豊かなエスプレッシーヴォで涙を誘うが如く歌いこむ場面でのアチェレランドからの…


やはり、自分の音楽性を更に広げていかなくてはならない……大変だけど、やっぱりまずは感性に取り込んでみて。


N響みなとみらい特別公演。

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2017年02月21日

表現の進化と自分


最近の世界的に認められている指揮者、新しい世代の音楽作りは、今までとは違うテンション、時間の使い方を感じます。

過去のスタンダードばかりが素晴らしいわけではないし、呪縛のように行き詰まり新たな潮流が生まれてこない時期もあったりするので、オーケストラの技術の向上に伴い新しい響き、価値観が生まれてくることは素晴らしいことですね。


テンションは高い方へ、そして響きは明るい方へ伸びた気がするので、逆に暗さとか陰鬱さという方向へのベクトル、その量もかつてとは違う気がします。

三次元的な話として、世の中が明るくなったのは確かなので、人の感性もそうなるのかもしれない。

ただ、暗くなりすぎて心病むということではなく、クリアーではない墨色のような暗き表現から、音楽的魅力を感じるということは失いたくない。


いずれにせよ、僕自身は新しい世代の表現、その魅力をまだ許容しきれない感じ。でも拒絶するのは愚かなことでしかないので、ゆっくりと自分の感受性を広げていきたい。


N響特別公演練習。

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2017年02月20日

マエストロ・ヤルヴィについて


マエストロ・パーヴォ・ヤルヴィとの演奏会、良い本番が続いています。彼の人間性が垣間見られるエピソードをひとつ。


彼は練習の時の上着は、必ず無地真っ黒の長袖Tシャツ。夏は半袖だったかな?記憶曖昧。夏になったら確認します。

ただずっと、黒の無地シャツであることは確か。それ以外は見たことない。

おそらく、おそらくですよ、白い指揮棒がオーケストラ側から一番見えやすいのがそれだからだと思うんですよ。

彼のことを厳しく見つめる意見を聞く機会もあります。そりゃ、いろんな見つめ方があるでしょうから。

でも僕は、おそらくそういう理由で黒の無地シャツを着ているのだと思っている。というか、彼はそういう人間性なのだろうと思わされている。


N響特別公演練習。川越へ。

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2017年02月19日

勝手にしなさい


「どうすればピアノがうまくなりますか」って聞かれるのね。「勝手にしなさい」と答えるんです。


やっぱり凄い言葉ですね。納得しきりたいために、考えてみました。

「勝手になりなさい」なら、まだメッセージが限定されている。自分の力で勝手になりなさい、あたしゃ知らんと。

しかし「勝手にしなさい」は、上記の意味以外に、自分が勝手にすること以外にうまくなる方策などないのだと言っているようだ。質問することすら意味なく勝手に。


結局極論。うまい人は、自分で勝手にうまくなる。

師に恵まれるにこしたことはないが、だがしかし自分で勝手にうまくなるような人間しか、本当にうまくはならない。

師の力でうまくなったとしてもそれはある程度でしかない。名教師の元を離れたら、以降は伸びなかったという人の話も聞いたことがある。これは世界的に有名な教師といわれている門下の、それなりにうまくなった人の話。


「勝手にしなさい」

そう、勝手にする勝手な人間がうまくなる人間なのだろう。


ブロカート本番。

posted by take at 14:51| 活動報告