2017年01月27日

感謝は人の為ならず


世の中の人たち、皆が「感謝してます」を多用するようになった時、僕は少し違和感を感じていました。

「ありがとう」や「ごめんなさい」と同じで、限られた必要な時に発する言葉でしょうと。「本当にそう思ってる?」と、うがった見方をしていたのです。

あの頃の僕は、この言葉を唱える本当の意味がわかっていなかった。


体調と同じで、自分の気分もどうしても浮き沈みという波がある。毎日こんなブログを書いていても、実はいろんな状態だったりする。

調子がいいと自然と身体を酷使し、気がつかないうちに疲れていく。どうにもならないまで疲れていったら、ようやくたっぷり寝ることはじめ回復につとめ、気づいたら元気になっていて、また再び……そんなアップダウンの繰り返し。

自分は安定した快調の持続を望むが、そうはいかない。元気なら本能がせっせと動かしてしまう。身体も内蔵も。疲れないようにほどほどに…しない。

気持ちもそうだ。気分が良い悪いだけならまだいいのだが、社会生活に影響ありまくる自分の謙虚と不遜にまで影響が出る。


基本ニュートラルで良いとは思う。365日24時間ずっと謙虚にこうべを垂れなければならないわけでもないと思う。

ただ、たれてみて見えてくるもの、そこから得られるスタンスを柱に努力を続けると、気づいたら嬉しくなるような成果が得られたりしている。自分のことだったり周りのことだったり。これを感じた瞬間から、謙虚に向いた自分の気持ちは不遜の方へ向きが変わる。自分の手柄のように感じてしまうのでしょう。

問題はその瞬間からしばらくは、そんな自分の具合の悪い問題に気づけないことだ。向いたベクトルのまま進み続け、かなり嫌なやつになって、周りとの関係において何かしらの失敗をする辺りまで、どうしても自覚できなかったりする。


子供の頃は、ただ自分の思い通りにならないだけでイライラし、不機嫌になり、怒りを表明したりしていた。

大人になると、必ずしも自分の希望が通らないことを知り、更に周りの希望が通る価値や、その幸せを願うことの大切さを宿していく。それにより、コントロールができるようになっていく気もしていく。

しかし、大人ならではの成功や成果は、子供のものとは違う病として、私たちを不安定に揺さぶる。


この不遜をコントロールし、イライラせず、周りと自分の笑顔を望むのに最も必要なのが、「感謝」に他ならない。

コントロールきかないのなら、毎日毎朝唱えて一日をスタートし、自分を戒めていくのは、大切な生き方でなのでしょう。



高松一高、レッスン。

posted by take at 09:07| 活動報告