2017年01月24日

つかみ その2


「たとえば、今の私の生き甲斐はゲームですって人がいたら、君たちなんて思う?」

楽聖たちは一様に苦笑した。

「ゲームを創る側ならわかりますけど、ただやるだけなら。いくらなんでも他にないのかってなります」

「だよね。どうしてゲームだとそう思うかわかる?」

「…………」

「ゲームは受け身だから」

彼らは府に落ちた表情になった。

もしかしたら、日本人は受け身の人が多いのかもしれない。というか多くなったとか……


第二次世界対戦後、焼け野原になった日本は速いスピードで復興を成し遂げただけでなく、経済的にも豊かになり、魅力ある国として再生した。

それは、信念と理念と希望溢れる叡知と努力の人あっての所業でしょう。賢さと勤勉無くして、そう簡単には実現しない結果だ。

そんな時代の人たちは、受け身なんてキャラクターは少なかったのではないだろうか。

なんせ焼け野原な上に、食べ物含め物が少ない時代。受け身になって待ってたら飢え死するし、周りで貪欲に成果をあげる人出てくれば、「よし自分も」と思わなければ、やはり生活に繋がらない時代。

外国に対して含め、憧れや上昇、成長といった言葉が相応しい時代だったのでしょう。

そして日本は、諸外国のような階級社会ではなくなった。できうる限り皆で豊かにと。

そんな根っこと共に彼らが夢見、未来に何を残したかというと、楽に苦労せず、安く良質を、待ちわびずに手元に届く社会。情報と物質の飽和。更に高品質の娯楽が私たちの周りに溢れた。

闘い、競争に敗れた人たちの聞くに耐えない不幸な話も、裏では山のようにあったのだろうが、しかしあの時代の人たちの夢と努力は、目に見える形で華やかな社会を作り上げた。いわゆる成功である。


そしてそれを享受する現代人は、受け身の体質が広がっていった……のかもしれない。

教育者も、はみ出る人材の出現を恐れずに、自ら掴みにかかる人こそを育てる、そんなカリキュラムを考える必要性を感じる。

生徒が待たない体質になる。常に探す癖を持つ。教えない、与えないというのではなく、生徒が盗みに来る。盗んで自らが変わる快感こそを与える。


脱受け身である。


練習キャンセルによる休日。

posted by take at 08:50| 活動報告