2017年01月23日

つかみ


僕は、生きていくのに一番罪深いのは「無関心」だと思ってきた。これは何にでも関心を持つという意味ではなく、人間社会の中でのコミュニケーションの分野の話。人は独りでは生きていけないから。

ただ同時に、しっかりと生ききるために、独りとしての内面の力も不可欠。自分以外の全ての人が、自分自身を一生懸命生きようとしている、いわゆる他人だから。

この自らの人生を幸せに生ききるために、最も必要なのは


「生き甲斐」


だと思います。特別な生き甲斐なくただ怠惰に、惰性で生きていったとしたら、いずれ心が病み、身体も病んでいくのでしょう。


生き甲斐は、大きさ含めもちろん人それぞれのテイストだろうが、人生の長きに柱のようにあり続けるものあれば、年月と共に変わる場合もあるだろう。

音楽大学に来た人間ならば、自分の専攻楽器こそがそれに相応しきものになるものだろうと目指してきたのだと思う。


この生き甲斐を持ち、育んでいくのに、最も罪深くある意味病原菌とも言えるのは


「受け身」


だと思う。これは、パーセンテージとして心の中にあるものではなく、受け身の人は受け身、そうでない人はそうでないのだろうと思う。

自分がどちらかははかりやすい。この学舎へ来れば自分が上手くなれる、来さえすれば変われると思った人、レッスンではとにかく教えてもらうことを望んでいる人。そんな人は受け身だ。いくらかは上手くなることはあっても、生き甲斐を感じていくのは難しい。


受け身の反義語を調べてみました。受動的の反義語としての能動的というのは、共に行動を表すようなので、メンタルを表す受け身の全ては表現できてないよう。そうすると、どんぴしゃ相応しい言葉は見つかってこない。

考えてみました。

「進身」、「攻身」、「欲身」、「求身」、「索身」……一番いいかなと思ったのは


『掴身』


自らがつかみにいく。自分の責任で自分の人生を幸せに、充実した時間として過ごす。

生き甲斐の天敵、受け身を止めて、全て自分の心からこそ手が伸びてでるように。


川越へ。Nーcrafts練習。

posted by take at 10:32| 活動報告