2017年01月18日

過去、未来、多数


そら演奏にはいろんなやり口がある。そしてそれぞれ他にはない魅力を放ったりする。どれが価値がありどれがないという評価は、個人の趣味の表明の範疇だったりもする。

それでも、ベルリンフィルやウィーンフィルの指揮台に立てる人とそうでない人がいる。運よく一度立ち二度目はない人も。

オーケストラの人間は、続けて来演する指揮者以外は

「わかってないな」

と思っている。


何がわかってないのか?


選択は常に、趣味を超えた多数決的賛辞を得ることが、マネージャーの判断材料になる。チケットは数売れなければならないから。多数の人間の賛辞というのは、違ったりするいろんなタイプなのに、皆にヒットする何かをもっているということ。

それは、スタンダードを理解している人間が、そのリスペクトから逃れられない状態で新しいものを探すということでしょう。

他人や過去を否定しているところからスタートしたり、スタンダードを理解した気になりその模倣のみをやろうとするようだと、結局ファンはいてもマニアの域を出ることはない。

なぜならそれは、ある意味楽な選択だから。

私たちは過去に縛られながら新しい未来を探し、かつ現在の周りの


「多数から」


歓迎されることを目指さなければならない。

その最も難しい命題と向き合う人のみが、未来へと受け継ぐ資格を有している。


N響定期。

posted by take at 11:18| 活動報告