2017年01月26日

吹き方の重要度


音程やリズムは、良い悪いという言葉ではかろうとするが、それだけではない奥行きの扉を開けつつある。

良いように聞こえる吹き方、良く聞こえない吹き方があるのだ。


川越へ。

posted by take at 20:53| 活動報告

2017年01月25日

つかみ その3


教師としては、生徒が盗みたがる環境を作る必要がある。

自分の足りないものが把握しやすく、魅力的なものを目の当たりにできる。渇望からの取得欲がわく状態。


僕の周りの多くの教師が同じことを言う。

「ある程度は上手くなるんだが、そこから先へいかないんだよね」

ここで言う「そこから先」というのは、コンクールで賞が取れる、オーディションを勝ち抜くといった、一線で活躍するスキル。

そのボーダーのこちらとあちらの違いはは、受け身か掴身かのような気がします。

掴身の人は自然とそうしているでしょうから、自分が得な体質だとは気づいてないでしょう。

必要なのは、実は受け身になっているという人に、

「そのメンタリティでは叶わない」

と投げ掛け、必要な心持を理解から目指してもらった上で、教師や学校が設定した環境と向き合ってもらうことだろう。

教師も生徒もそんな


「正確な意図」


こそをもってなくてはならない。


川越へ。

posted by take at 20:30| 活動報告

2017年01月24日

つかみ その2


「たとえば、今の私の生き甲斐はゲームですって人がいたら、君たちなんて思う?」

楽聖たちは一様に苦笑した。

「ゲームを創る側ならわかりますけど、ただやるだけなら。いくらなんでも他にないのかってなります」

「だよね。どうしてゲームだとそう思うかわかる?」

「…………」

「ゲームは受け身だから」

彼らは府に落ちた表情になった。

もしかしたら、日本人は受け身の人が多いのかもしれない。というか多くなったとか……


第二次世界対戦後、焼け野原になった日本は速いスピードで復興を成し遂げただけでなく、経済的にも豊かになり、魅力ある国として再生した。

それは、信念と理念と希望溢れる叡知と努力の人あっての所業でしょう。賢さと勤勉無くして、そう簡単には実現しない結果だ。

そんな時代の人たちは、受け身なんてキャラクターは少なかったのではないだろうか。

なんせ焼け野原な上に、食べ物含め物が少ない時代。受け身になって待ってたら飢え死するし、周りで貪欲に成果をあげる人出てくれば、「よし自分も」と思わなければ、やはり生活に繋がらない時代。

外国に対して含め、憧れや上昇、成長といった言葉が相応しい時代だったのでしょう。

そして日本は、諸外国のような階級社会ではなくなった。できうる限り皆で豊かにと。

そんな根っこと共に彼らが夢見、未来に何を残したかというと、楽に苦労せず、安く良質を、待ちわびずに手元に届く社会。情報と物質の飽和。更に高品質の娯楽が私たちの周りに溢れた。

闘い、競争に敗れた人たちの聞くに耐えない不幸な話も、裏では山のようにあったのだろうが、しかしあの時代の人たちの夢と努力は、目に見える形で華やかな社会を作り上げた。いわゆる成功である。


そしてそれを享受する現代人は、受け身の体質が広がっていった……のかもしれない。

教育者も、はみ出る人材の出現を恐れずに、自ら掴みにかかる人こそを育てる、そんなカリキュラムを考える必要性を感じる。

生徒が待たない体質になる。常に探す癖を持つ。教えない、与えないというのではなく、生徒が盗みに来る。盗んで自らが変わる快感こそを与える。


脱受け身である。


練習キャンセルによる休日。

posted by take at 08:50| 活動報告

2017年01月23日

つかみ


僕は、生きていくのに一番罪深いのは「無関心」だと思ってきた。これは何にでも関心を持つという意味ではなく、人間社会の中でのコミュニケーションの分野の話。人は独りでは生きていけないから。

ただ同時に、しっかりと生ききるために、独りとしての内面の力も不可欠。自分以外の全ての人が、自分自身を一生懸命生きようとしている、いわゆる他人だから。

この自らの人生を幸せに生ききるために、最も必要なのは


「生き甲斐」


だと思います。特別な生き甲斐なくただ怠惰に、惰性で生きていったとしたら、いずれ心が病み、身体も病んでいくのでしょう。


生き甲斐は、大きさ含めもちろん人それぞれのテイストだろうが、人生の長きに柱のようにあり続けるものあれば、年月と共に変わる場合もあるだろう。

音楽大学に来た人間ならば、自分の専攻楽器こそがそれに相応しきものになるものだろうと目指してきたのだと思う。


この生き甲斐を持ち、育んでいくのに、最も罪深くある意味病原菌とも言えるのは


「受け身」


だと思う。これは、パーセンテージとして心の中にあるものではなく、受け身の人は受け身、そうでない人はそうでないのだろうと思う。

自分がどちらかははかりやすい。この学舎へ来れば自分が上手くなれる、来さえすれば変われると思った人、レッスンではとにかく教えてもらうことを望んでいる人。そんな人は受け身だ。いくらかは上手くなることはあっても、生き甲斐を感じていくのは難しい。


受け身の反義語を調べてみました。受動的の反義語としての能動的というのは、共に行動を表すようなので、メンタルを表す受け身の全ては表現できてないよう。そうすると、どんぴしゃ相応しい言葉は見つかってこない。

考えてみました。

「進身」、「攻身」、「欲身」、「求身」、「索身」……一番いいかなと思ったのは


『掴身』


自らがつかみにいく。自分の責任で自分の人生を幸せに、充実した時間として過ごす。

生き甲斐の天敵、受け身を止めて、全て自分の心からこそ手が伸びてでるように。


川越へ。Nーcrafts練習。

posted by take at 10:32| 活動報告

2017年01月22日

悲しい茶色やね

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ただ今ファミリーマートでは、くじのキャンペーンやってましてね、500円で一枚引けるみたいな雰囲気みたいで……


まあ大阪鶴橋、チューバ池田プレゼンツのスンバラシイ店での焼肉三昧の後、肉がいいんでしょうねぇ、環状線にのって扉にもたれて半分ねこけるヨッパッピー◎関西でもかっ!も、胃は全くもたれずにですね、ホテルまで帰るわけなんですが、近くのファミリーマートに寄ってですね、伊右衛門特茶の大麦ブレンドを買ったりするわけですが、以前書いたようにトクホ苦手なお子ちゃまだった私も最近大人化が激しくて、結構買って飲んだりするわけで、それに一人なのに誘惑に勝てずプチシューの詰め合わせ買ったりしましてね(シューマニアの頁参照)、すると「くじを一枚引いてください」なんて言われ引いてみたら、やっぱり大阪でももってますね、この男は、「お茶が当たりました、今お持ちになりますか?」なんて言われまして、「はい」からの「では取ってまいります」で、きたのが同じ伊右衛門特茶の大麦ブレンドでして、いくら茶ンスに強いおっ茶んでも二本はいらないわけで、じゃあ買った特茶を返品すればと思っても、そうすると500円を切るわけで、つまりくじを引く権利がなくなるわけでして、そんなねじれ現象に頭を悩ませながら店を後にするわけです。


N響大阪公演

posted by take at 17:47| 活動報告