2016年11月07日

強靭な意気込み


ジョー・アレッシの言葉を直接聞いて、特に印象に残っているのが

「30年40年前は正しい吹き方をする人が少なかったが、現代は大分増えた」

というもの。「正しい」という表現に、随分強気で断定的な印象をもちました。そーまで言うかと。

何をもってして正しい吹き方なのか。やはりさまざまな項目で正確であり、そこから「洗練」という、都会風近代的整頓ともいえるスッキリ感があるのだと思います。不正確なことが極めて少なく自然であり整っている、みたいな。


同時に僕には、正しいという単語の中に、説得力という人間を納得させる強い意見のようなものを感じる。


そして、それを体現するための強靭な技術に向かえる限り向かおうとする人には、エネルギーの強い表情に対する意欲が、結果あるのではないかと思います。

淡白なニュアンスになるよう洗練されたいということではなく、その正しい吹き方でより濃厚な表現をしたいとか。

その意欲を生徒に対し外付けすることはできないが、滲み出る意気込みなくして相対する人間が感じる喜びなどないのだと、彼らに強く理解してもらいたい。

まずは強靭な技術だ。その体得の仕方と、要求する順番。僕には「中途半端な技術の要求と容認じゃだめだ」という意気込みが必要だ。

そして彼らには、見た目や音から常に意気込みが滲み出ている、そんな強靭さが欲しい。

もちろん日頃の言動、語る目標にもだ。


川越へ。

posted by take at 22:42| 活動報告