2016年11月10日

ピコ太郎への道のり


ピコ太郎って、名前もいいですね。

ザーヤク風体とはかけ離れてて、ゆえにコワモテでも余計愛嬌を感じます。この芸人、実は全然恐くないんだろーなーって。そんなネーミングでやるんだから、ギャップ含め面白いんだろなーって。センスいいなーって。

実際「ピコタロー」の響きは、愛されキャラのイメージですよ。


でね、今回のブレイクですっかり忘れていたあることを思い出したんですよ。

高校時代か大学時代か忘れたんですが、一部の限られた人たちから呼ばれていたあだ名があったんですよ、僕に。その名も


『たこ太郎』


ね、よくないですか?(いいと思いませんか?)

え?愛されキャラ狙ってんのか?いや、ちゃいますって、作り話やおまへん。本当に呼ばれてたんですよ。チョーごく一部からですけど。

え?たこ焼き屋の名前にしか思わない??

可愛いじゃないですか。ピコとたこ、ピとこが違うだけですよ。

エエィ!じゃあ、ピコみたいにカタカナししてやる。


『タコ太郎』


どーです??嘘じゃないですっとばあ!!本当に呼ばれてたんですよお!!!50過ぎて、作り話で人気者になろうってんじゃないですよお!!!!

え?そりゃスットコドッコイ、頭悪いマヌケ野郎につけるあだ名だ?


……ほ、ほんまや (/。\)


川越へ。N響定期。

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2016年11月09日

生きる


僕は若いときから「年齢を重ねたくない」、ひらたく言うと「年をとりたくない」とは思っていなかった。

とりたいとも思ってなかった。

まあその時の自分以外に興味が無かったのだろうし、未来を予見する力もなかったのだろう。

年々身体は変わっていってるが、それよりも頭の中と習慣、やることのディテールが変わっていっている印象。

ただ、かつてと今、どの程度おつむはじめ変わっているのかは正直わからない。随分変わった気もするが、実はほとんど変わってないのかもしれない。

いつも過去は正確には思い出せない。

そして、そんな過去に憧れることもほとんどない。

今がいいし、これからも楽しみ。

ぼやっとしてたこと、わからなくて苦労したことが、大分理解できてきた気はする。生きやすくなっていることも確か。諦めることも、諦めないことも覚えた。

つまり僕にとっては、年齢を重ねるのは


悪くない。


N響定期。

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2016年11月08日

言葉にならない


今日は沖縄県芸の楽聖の楽器選び。様々吹いて、結局今までと同じモデル、バックのハグマンになりました。本人も、時間をかけてそこへと戻った(たどり着いた)感じ。

僕も吹きましたが、基本本人が吹くのを聞きながら、求めてくれば意見を言いました。

最後は印象も選択も合致したので、本当によかった。


やっぱりバックの音、やっぱりバックのベルの音だと思いました。

余分なものというのは適切な表現ではないのですが、他の楽器には明らかにないバックだけの「音の快感成分」があります。

かつてコーンやコルトワを気に入って吹いてましたが、バックのしかもトラディショナルの42Bに戻ったのは、この快感成分が棄てられないからです。

もちろん他の楽器にある個性も気に入るものが多い。それはそれは魅力的で吹きたくもなるのですが、何かを選ぶことは何かを棄てることであり、どの個性が棄てられないかとなるとやはりこれになってしまう。

で、その快感成分が何なのか。僕にとっては、広がり以上に奥行きが大事で、その懐にあるもの


……えー、言葉にならないんですよね。


あえて言うなら、なんとも言えない音……あ!言葉になってない。なんとも言えないのだから。

とにかく、シンプルで単純ではない快感成分とだけ表現します。それ以上は


「なんも言えねえ」


この説明できない存在が、音楽の素晴らしさだと思います。


N響練習。選定。
若い世代の皆さんには、現実的な不安より、この言葉にならない憧れでもって、学ぶことを選んでいって欲しい。人類が存続する以上、音楽はこれからも絶対無くならない。言葉にならないものだからこそ。

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2016年11月07日

強靭な意気込み


ジョー・アレッシの言葉を直接聞いて、特に印象に残っているのが

「30年40年前は正しい吹き方をする人が少なかったが、現代は大分増えた」

というもの。「正しい」という表現に、随分強気で断定的な印象をもちました。そーまで言うかと。

何をもってして正しい吹き方なのか。やはりさまざまな項目で正確であり、そこから「洗練」という、都会風近代的整頓ともいえるスッキリ感があるのだと思います。不正確なことが極めて少なく自然であり整っている、みたいな。


同時に僕には、正しいという単語の中に、説得力という人間を納得させる強い意見のようなものを感じる。


そして、それを体現するための強靭な技術に向かえる限り向かおうとする人には、エネルギーの強い表情に対する意欲が、結果あるのではないかと思います。

淡白なニュアンスになるよう洗練されたいということではなく、その正しい吹き方でより濃厚な表現をしたいとか。

その意欲を生徒に対し外付けすることはできないが、滲み出る意気込みなくして相対する人間が感じる喜びなどないのだと、彼らに強く理解してもらいたい。

まずは強靭な技術だ。その体得の仕方と、要求する順番。僕には「中途半端な技術の要求と容認じゃだめだ」という意気込みが必要だ。

そして彼らには、見た目や音から常に意気込みが滲み出ている、そんな強靭さが欲しい。

もちろん日頃の言動、語る目標にもだ。


川越へ。

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2016年11月06日

京都の残像


今回の京都の旅、三日間でかなり廻ったとはいえ、まだまだいくらでも見るところがあるようです。外国人にも一番人気、やはりキングオブ観光地だと感じました。

同時に、今までの国内旅行とは違う、なんだか特別な気分で旅していました。

廻ったのは神社仏閣中心の「ザ・ニホン」でありながら、時折外国を旅行しているような気分になった。


もちろん、行く先々に外国人が多くいたというのはあるでしょう。しかしそれだけではない、非日常な特別な風景が多かった気がします。

どこもかしこも観光客だらけ(3分の2が外国人か)ごった返していたので、本当なら嫌になる感じだが、そうならなかった。もちろん静かに廻りたいという気持ちはありますが、みんなそうであろうし諦めるしかない。ただそれなのに残念という気持ちは少なかったのです。

全てではありませんが、スケールの大きな空間がいくつもあり、大人数の人々をも飲み込んでいる雰囲気、充満する楽しむ多くの人々のアドレナリン的エネルギーも相まって、常に幸せな空気が感じられました。

御所や清水寺等は、やはり日本らしからぬ大きな世界観でした。またスポットがそれなりに広範囲にあちこち点在しており、あっちも行きこっちも行きなんてのも、日本のサイズというよりは外国の都市や町に近いのかもしれません。

川下りも二時間に渡ったり、嵐山のサイクリングも随分広範囲を楽しめ、やはり物足りないの逆、楽しんでも楽しんでもきりがなかったからかもしれません。

そしてホテル!今まで経験したことのないその様式に心底驚きました。新しい楽しみ方を知った喜びで、ずっと興奮していたのだと思います。(詳しくはまたいずれ)


今日、N響の練習に行くのが嫌だったわけではありません。しかし、珍しく旅行をガッツリひきずっていたのも、いつもと全く違う感覚なのでした。


N響練習。レッスン。ブロカート。


posted by take at 16:02| 活動報告