2016年11月20日

録音していいですか


アマチュアの方から質問をいただきました。

生徒「レッスンを録音するのは、問題あるんでしょうか?」

たけ「ぜんぜん(ないよ)…自由に録って……あ、そういや駄目だっていう人がいるって話を聞いたことがあったなあ。たしか、自分には肖像権があるからなんちゃらとか言ったかなあ」

録音したものを拡散するとでも思うのだろうか?随分狭量な考え方だなあと思ったのを思い出した。

生徒「ダメって人もいるみたいですね。なんか黙って録ってると盗聴みたいな感覚になるし」

たけ「そらそうだね。最初に一回だけ録ってもいいか聞けばいいんじゃないですか?僕の生徒で、毎回聞いてくるのがいてそれはそれで。僕は一回オッケーならオッケーなんだから、あとは勝手に録りなさいってな感じです」

そもそも、生徒が録音したいというのは、当然復習したいということでしょう。レッスン中は緊張しててよくわからないまま進むとか、時間が経つと風化して忘れるとかあるから録りたいと。立派な取り組みじゃないですか。

ダメとする理由が、拡散するんじゃとか、自分の音をばらまくんじゃなんて考えるのなら、大した自信の持ち主だし、そもそもそんなに疑うような相手のレッスンなら、しなければよい。それともレッスン中の自分の演奏や発言に、自信がないのだろうか。

そもそも先生の自信や肖像権なんてことよりも、レッスンは生徒がうまくなるためにやること。その積極的取り組みを禁止するということは、レッスンをなんのためにやっているのかわからなくなる。


録音機も高品質低価格と身近になったが、現代はなによりスマホでピッ。音も問題なくリアル。積極的に研究しやすい時代になったのだから、使わない手はない。

チューナーなんかもそうだが、音程の良い人が積極的に使い、悪い人は使わなかったりする。本当にうまくなりたいなら、録音をやりたがる人でありたい。


生徒との会話で久しぶりに思い出したのだが、20年前、ベルリンから帰国してからの二年半の間、シュムーとのウンターリヒト、彼の示してくれた演奏を毎日聞きながら音だしをしていた。忘れたくなかったのだ。

あの頃は、ポータブルのMDだった。あれでも便利になったと思っていたのだ。


レッスン。N響定期。ブロカート。

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2016年11月19日

シューマニア ツー


まあ、私にもイメージというものがありますから。

それは皆さんの想像通り、夜はバーなんぞで、一人で物静かにバーボンを傾けているわけでして、決して居酒屋で安酒で騒ぎすぎて自分が傾いていることなんかはないわけです。

え?好みですか?大体なんでもいただきますが、やはり高級で味わい深い、奥行きが感じられる旨味といいますか……え?甘いもの?スイーツですか?いや、やはりあれは女性や子供が好むものじゃないですか?私くらいになると、まあ老舗の和菓子あたりをたしなむ程度でして、横文字の洋菓子なんかはですね、え?シュークリーム??あんなのは子供のおやつ……


す、好きです


こ洒落た洋菓子店で出てくるふた付きみたいなのも好きですが、実はコンビニにあるような

「ザ・柔いシュークリーム」

好きなんですねぇ。


発祥国フランスでは「シュー・ア・ラ・クレーム」。「シュー」とはフランス語でキャベツ、ハボタン、ハクサイなどの総称。ここではキャベツを意味し、丸く絞り出して焼いた生地を結球したキャベツに見立ててシューと呼ぶそうな。誤解例が未だにあるようなのですが、英語の靴(shoe)とは、そら関係ありまへん。

ただ現代フランスにおいては、日本の菓子店で見るようなシンプルなシュークリームは「シュー・ア・ランシエンヌ(昔風シュークリーム)」と呼ばれ、あまり店頭には並ばないのだとか。シュー生地を用いながらもエクレア、サントノレ、パリ・ブレストといった、別の食感を付加した菓子が好まれる傾向にあるようです。エクレアもえーなー。

コンビニで、一個だけカスタードの柔いシュークリーム買って、一人でニマニマしながら食べたりもしますが、実はちっちゃいプチシューがいっぱい入ってんの買って、「いくつかだけ……」ってパクパクしながら、気づいたら完食なんてこともあるダメダメなアタシ。

でも、大人になって良かったーって感じる瞬間でもあります。

この一口サイズの小さなシュークリームは、「プロフィトロール」っていうそう。意味は「心付け」。素敵やおまへんか。しかし、心付け10個も15個も食べるなんざ、野暮な大人やねえ。


でもいーんだ。好きなもんは好きなんです。誰にも迷惑はかけん。え?僕君の食べちゃった??

ゴメン、許して、勘弁して。シューマニアですから。


N響定期。

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2016年11月18日

シューマニア


N響のチェロ奏者、ブロカートのトレーナーもやってくれている桑田歩君は、大のシューマン好き。ブロカートでコンチェルトをお願いしたら、シューマンを選ぶ。指揮をお願いしたら前プロをマンフレット序曲に変更。自他共に認めるシューマニアです。


明日明後日の定期は、マエストロ・ジンマンによるシューマンプログラム。マンフレット序曲にピアノコンチェルト、交響曲第三番「ライン」。

「今回、桑田のためのプログラムだね」

練習場でそう言うと「ははは」と、本当に嬉しそう。

たまたまだとは思うが、最近N響ではシューマンをやる機会が少ない。マエストロ・サバリッシュが来演していた2000年代初めまでは、一番、四番はじめしょっちゅうやっていた。

僕は「もちろん嫌いじゃない」てなテンションだった。そのロマンチシズムにはまったら、シューマン愛から抜けられなくなる。それももちろん理解できている。そんな感じだと自覚していた。 で、今回のマンフレットとラインの練習ですが……


なんだか、楽しくてしょうがないんですよねぇ


どうしちゃったんだろう。最初の一音からずっと興奮してたりする。もちろん、マエストロ・ジンマンはお気に入りの指揮者の一人でってこともあるとは思う。でもそれだけじゃない。なんだかそのロマンの世界に、我を忘れて没入してしまいそうな……やばいなあ。やばい?

そういや数年前、第二番をやった時の指揮者の音楽づくりに、珍しく自分でも驚くほど腹がたったことがあった。


も、もしかしてなっちゃったのか?シューマニア??


N響定期練習。川越へ。
先日、デュファイの「シューマン風」と、本家シューマンの「三つのロマンス」のレッスンが続いた時があって、その間の休憩中に、生徒たちと崎陽軒のシューマイの話をしていたことに後で気がついたことがある。やっぱりなっちゃったのかなあ〜〜

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2016年11月17日

一年生こそ


小学生は違いますがそこから先、中学以上の場合、一年生というのは

「まだ一年だから、先輩たちのように出来なくてもいい」

という気持ちが潜在的に宿ったりし、それが様々上達を妨げる可能性があるのだと思います。

ヨーロッパの某音楽大学のように、一年の最後の試験で、入学時からの伸び率がある一定まで到達してないとの評価になれば、なんと!!!

“その生徒が学校をやめなければならない”

システムだと、気持ちも変わるかもしれない。

この大学、その試験をクリアーすれば、複数の先生方が卒業までの三年間で、確実に良い演奏家になれるよう責任をもってしっかりと教えてくれるそうだ。

まあ最初の年にかなり伸びることができるとすれば、その人材はその後も自ら成長していけるのでしょうし。


この、一年時にいかほど変われるかというのが、本当に大事な気がしてきました。

確かに人によって、やる気スイッチ含め、変わるタイミングは様々なのだろう。しかし最初の年に伸びないなら、後の伸びしろもさほどではないかもしれない。

本当にうまくなるなら、伸び方というのはかなりの勾配でスピーディーであるべきでしょう。学校に入ってその環境で要求される新しいこと、新しい刺激、目の当たりにするレベルに対して「慣れてないから」という言い訳で、もんもんと暮らしてしまうなら、それこそ受身だということなのだろう。

新鮮に感じている時期ほどやる気に溢れ、吸収し変わろうとする、そんな人材でいてほしい。

環境のムード、設定されているプログラム、要求されることも、当然ながら大きい。僕は彼らにこそ望み、要求し、観察しなければならない。


一年生にこそ大きく変わってほしい。変わることを経験し、素晴らしい自信と共に二年次に進んでほしいのです。


N響定期練習。川越へ。

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2016年11月16日

同じ空


改めて被災地支援に励む仲間たちと再会し、

こういう活動、交流をしようと思うのは本能が導くものなんだなあ

と思った。

理屈とか、思考回路とか、理論的根拠も何もわからない。「おもいやり」という言葉だけでも納まらない。支援活動をしてはいないが、おもいやりに溢れた人もたくさんいる。

変な関連だが、東国原前知事が言った

「どげんかせんといかん」

という言葉はつぼにはまる気がする。

プロジェクト自体の経過を詳しく聞いても、難航している部分も多く、関係者の苦労は筆舌し難く。

ただ、普通の暮らしがままならない人々がいる以上、

なんとか何かを何かしらからでもやらんといかん

そう本能がつぶやいているのだと思います。

実はガッツリじゃなくてもよかったりします。ほんの少しの感心でも、忘れてしまっている、興味がもてないより百倍価値があると思います。

私たちの真上に拡がる青空は、被災地と繋がっている。私たちと彼らは、同じ空を見ているのですから。


レッスン。槌音チャリティーコンサート。
それにしても、価値観さえ定まれば、トップダウンで一週間で巨大な道路は復活できるのです。今回はっきりとわかりました。本当に大事なのは、経済ですか?責任の所在ですか?利害とは人の命や生活より大事なのでしょうか。

posted by take at 15:53| 活動報告