2016年10月30日

洗練


洗練という言葉に居場所があるとしたら、それは私たち人間にあることこそが相応しいと思う。

人間こそが時間をかけて洗練していく。

人間が使う道具が、洗練されすぎるのは危険もはらんでいる気がします。

たやすくクオリティ高くできる、みたいな洗練が道具にあると、時間そのものに一過性の喜びと賛辞はあれど、人間こそがその道具と共に洗練していくのは難しくなる。

道具に洗練はそこそこでいい。必要なのは、長い人生の時間、共に並走しながら伸びていく、そんな懐という奥行き、許容量。

容易さと万人向けは、人間から洗練への道程を奪う可能性がある。楽は危険だし、結果楽にならなくなることもある。

自分の感性と努力こそが洗練を生むよう、何が楽なのかに対し敏感でありたい。


N響練習。川越へ。

posted by take at 18:43| 活動報告