2016年10月27日

世界は広い、本当に その2


ベルリンにいた時、「留学の現実も様々だ」と教わったことがある。これは音楽留学に限らない話。駐在している日本人から聞いたり、様々目の当たりにしたり。

日本にいると「留学している」というだけで、大変にアクティブで充実した学びの中にあるとシンプルに考えるが、そうではない場合も多々ある。

「日本は俺のフィールドじゃねえ」とばかり飛び出して、語学留学という目的で、では言葉を習得して何をするということは定められず、何年にも渡り漂うような生活をしている人もいる。恋人や友人に恵まれず、日本人観光客に対して悪質な商売をする結果になる人いたり、犯罪に手をそめてしまうパターンも。

かつてNHKで、「日本に帰国できない留学生」みたいなタイトルの番組もあった。


留学に限らず、「外を見つめれば大丈夫」というだけの話ではないということ。広いフィールドに飛び出し様々自分を豊かにしていくことができる、というのにも実は人間としての条件がある。


まずは、見聞きしたことの素晴らしさや、吸収するために必要なプロセスやバックフィールドに対して敏感になれるという資質。奥行きを考察することができる力。

そのために、自分自身に目的意識(大きな項目でも、細分化された具体的な項目でも)があり、結果そのことに対して活きるような出会い、気付きにならなくてはならない。

それが無く相対しても「へぇ〜凄いなあ、いいなあ」で終わる。つまり、観光で終わる可能性が高い。

前述の「日本は俺のフィールドじゃねえ」という人は、日本で仕事や人間関係がうまくいかない人に多く、そんなに目的意識に具体性が無くスキルも高くないとしたら、外国へ行ったらもっと無理で、成功どころか学びにすらならなくなる、というのと一緒。

つまり、外を見つめようとする以前に、普段の自分のたち位置にて、既にあらゆることを感じ、学び、吸収し、自己改革ができるような人でなくてはならない。


更に、自分自身の中を見つめ探して、変えていけるような力が必要。

社会は「無限の可能性を秘めた自分自身という人間」の集合体でしかない。ということは己の中にも、当然変化の種が溢れているはずだ。


自分は狭いと定義し、広い世界へ飛び出していくことは大事だ。同時に、まだまだ狭い自分には、広大な可能性があると本能で信じられる力が必要だろう。

でなければ、外へ飛び出す行為自体が、ただの一過性他力本願に終わってしまうだろうから。


川越へ。N響定期。
親の育て方、学校の環境はもちろん大きいが、自分自身が前向きで面白がりや、できればギガ数に恵まれているといいですね。

posted by take at 17:45| 活動報告