2016年10月18日

怒る


昨晩のコンサート、ご来場くださった皆様、ありがとうございました。九州や四国、東京からも来てくださった人もいて、コンサートから打ち上げまで大変エキサイティングな一日でした。日曜日は東京公演になります。楽しんでいただけるよう頑張ります。



僕は自他共に認める、生徒と距離の近い教師だと思います。楽聖たちとはいろんな話をする。

ただ若者たちがどんどん相談してきたり、悩みを打ち明けてきたりとかいうのではない。それは友達同士や、先輩後輩でコミュニケイトしている。そういう意味では先生然としているのだろう。


トロンボーンのことだけを教えたいが、ある程度以上のラインを超えて気になる言動、生活に関しては説教をすることもある。かつては激しく怒鳴ったこともある。一回怒鳴ると、それで消えない距離もできたりするが、それはそれで仕方がない。距離は一番大事なことではないから。


「大学の先生、しかもトロンボーンの先生がそこまでしなきゃならないの?」

かつて家人や周りの人に言われたこともある。


楽聖たちは、総じて未熟な部分をもっている。中には聡明な者もいるが、それでもよく観察すると、これから成長するであろう脳の伸びしろを感じる人ばかり。

親がきちんと常識、良識、大切な価値観を自らが示し、教育できていれば、多少の未熟さをとやかく言う出番はない。日常生活の中で周りを見つめたり、経験していく様々な出来事を自らきちんと咀嚼理解していけば、自分の力で正しい方向へ成長していける。

ただ親が示していない、教育していない、怒っていない場合だと話は違ってくる。

高校までの大人数の教育環境の中、個性のようにとらえられスルーされてきた未熟さは、自由な環境の大学では露呈しやすいし、コミュニケーショントラブルの種でもある。

やはりある程度のラインを下回る常識や良識のなさには、年が離れた大人が怒って気づいてもらうしかない。

親がしてないなら、もう自分しかいない。年が近いと、先輩や同級生が怒っても、ふてくされて終わる場合もある。本気にとらえないようだ。


ある意味のラストチャンスとも言える。社会に出てしまったら、周りはそこまでは突っ込んでくれないし、手遅れだ。「もう大人だしねぇ」と言われて終わり。成人してると、親すらそう言ったりする。


親と学校が、子供の教育を押し付け合う風潮になって久しい。

もちろん小学校から大学まで、学校には正しく模範になる大人が必要だ。子供は軽く人格を見透かしてしまう。情や情熱がありゃ大丈夫という話ではない。ずる賢い子供ほど奥まで見ていたりもする。


しかし全ての子供にとって親は別格の存在で、その習慣や言動、それが示す価値観は、幼い頃の脳に最も影響を与え抜けなくするだろう。

もちろん深き無償の愛情が必要な根幹だとは思うが、親こそがどんな人格であるかは、想像以上に子供の生きざまに影響を与えているはずだ。


それでも様々な親がいる以上、大学の、トロンボーンの先生でも怒らなければならない時がある。

僕は幸い、生徒の数が物凄く多い方ではない。僕のような未熟者でも、彼らを信じて正しく怒らなければならない時もある。

そこに対して「自分の仕事じゃない」と無関心でいることを、やはり大学生も軽く見透かす。正しく見抜くくらい聡明であってはほしいとは思うが、そんな場面はやはり望まない。


なにより、どうしても教育が仕事だとは思えないのです。


帰京。川越へ。

posted by take at 21:52| 活動報告