2016年10月09日

正確な心 その2


正確についてばかり書いているが、どうもそういう気分なのです。


魅力的だと思われたかったら、正確さを目指すのが良いと思います。

正確という言葉からは、ついついメカニカルな技術の印象が強くなり、心不在、つまり音楽性という言葉からうける魅力の価値とは対極に感じてしまう。

しかし本当に魅力的な演奏を知っている人は、そのパフォーマンスが「正確さ」に裏付けされていることこそを知っている人だ。マシンが作る正確さではなく、人間が携わる正確さこそが、人間の心を揺さぶることを知っている人だ。

楽器を正確に演奏するのは本当に難しい。気持ち的にも、技術的にも。

正確なだけでそれこそ機械がやるような演奏じゃ……という価値観が、正確とはまた別の幅を探させる。

ただ一度、それこそ機械のように演奏しようとしてみたい。するとそれがあまりにも困難なことがわかるだろう。そこで自分はできなくてもしょうがないと思うか、できないのはまずいと思うか。


リズムや音程、インテンポだけでなく、正確という観念としては曖昧な項目、たとえば数字で示されていない速度、音量とか音の形、レガートはじめとしたアーテュキレィションまで、実は正確があるのかもしれないと、ストイックテイストのような自分当たり前が宿るか。

最後は、音楽性といわれている表現、表情、エスプレッシーヴォやカンタービレ、ドルチェやコンフォーコにまて正確を探すことの重要さ。

僕より不正確なプレイヤーは「吉川は正確」と思うだろう。そして僕より正確なプレイヤーは「吉川は不正確」と思うはず。

問題は、僕がそんな不安定で確実ではないプレイヤーであり、「正確を求めない時間」に安住してしまうことだ。


N響練習。ブロカート。

posted by take at 09:52| 活動報告