2016年10月06日

夢の叶い方 叶わない方


「夢が叶った」というのは、人生がある程度うまくいった人が「振り返ってみれば若い頃からの希望だったこと、それが叶っている」という意味で発言したり思ったりしているのだと思います。

ただ正確には、どの時期からの、しかも夢という言葉に相応しい唯一の希望だったかどうかは怪しい。

中学一年の時にはサッカー選手になりたいと思ったが、二年では漫画家になりたくて、高校に入ったら落研にいて結果料理人になった人が「子供の頃からの夢が叶った」と言っている場合もあるだろう。

幼少の頃から、明けても暮れても脇目もふらず没頭し唯一の希望を貫き通し叶えた人ももちろんいるだろうから、世の中のイメージを否定するつもりはないが、ただ夢が同時に複数あったり、変わっていった人の方が実は多いのだと思います。

ある程度若い世代からのであれば、どの時期からの希望でも「叶えば夢」でしょう。「叶わなかった」という人は憧れが持続しており、自分の不運を感じている人だと思います。


いずれにせよ、夢が叶ったという人の「夢の叶い方」には、ある法則があると思います。

まず、夢が叶うまでの期限を自分で設定しないということ。「いついつまでに、自分の夢を叶える」というのは、実は現実的ではない。

夢に向かう時間というのは「現実を知っていく時間」だと思います。大抵のことは、実は一年や二年程度では知るのは難しいのが現実だと思います。

中には最初から能力が異様に高く、本人もわからないうちに引き立てられたという人もいるでしょう。そんな人は、そもそも自ら期限なんか設定する瞬間すらないし、「夢が叶った」と発言するかどうかも怪しい。こういう人にとって現実を知っていく時間というのは、叶った後にやってくる。「自分には周りの誰より優れた才能があるし、運ももちあわせている」という現実を。

ほとんどの人がそうではないとして、やはり学校に入って学んだり、調べたり習ったりと、ある程度時間をかけるというプロセスを辿るでしょう。

自分の能力や実力がその夢の内容に相応しいかどうかは、時間をかけてその場で知っていく。プロフェッショナルを目の当たりにしたり、先生、先輩はじめいろんな人に出会い話を聞いたり、試験やコンクール、オーディションなどはかられる機会の結果で、レベルや実力を自覚していく。

ただ現実を知っていくというのは、必ずしも諦めるためのプロセスというネガティブなテイストではない。どちらかというと、現実に近づく悪くない話。これをどう受けとるかこそが本人次第。


この時間に、必要な能力の本当にリアルな現実に対し敏感であり、それを身につけるために目の前の時間に没頭できるというのが不可欠な資質。

そうして自分を鍛えながら、夢を叶えるチャンスが来たら、当たって砕けろ的にチャレンジし判断を仰ぐ。そのチャンスは逃さない。

結果は全て他人によって決定される。自分の夢の決定権は自分にはなく他人にしかないし、そのタイミングも自分では決められない。それが、潜在的に理解できている。



これらの逆、

自分で夢を叶えるまでの期限を決めてしまう(急ごうとする)、叶えるための現実を知る時間を慌てる時間にしてしまう、何が必要かという現実を見ようとしない、見ても自分の実力と比べようとしない、自分の実力を自分ではかりたがる、チャンスがあってもチャレンジしない、

自分の限界や時間を自分で設定してしまう

それでも夢を持つ、語る、ないしは、日々漂い自分の本気を見失ってしまう。

というのが、「夢が叶わない資質」なのだと思います。


これは僕も生徒たちも知らなければならないことだし、そうではない時間を生きられるよう、努力しなければならない。


川越へ。


posted by take at 23:16| 活動報告