2016年10月03日

集合という一体化へのプロセス


沖縄へ行けるかどうか、昨日楽聖とも相談しながら熟考、結果行かないことにしたのですが……そもそも飛行機跳ばないし、学校も休講だとのこと。行きたくても行けんかったんやん。


で、川越へ赴きオーケストラの授業を見ることに。

マイスタージンガーとブルックナーの五番というヘビーなプログラム。

シンフォニーの一楽章の終わりで、四分音符のユニゾンがバラけているが、ほとんどの楽聖が無頓着なので、マエストロに許可をもらい全員に話す。

「テンポやノリは指揮者の先生が示してくれている。こういう時に、全員“集合する”という意識が必要です。コンマスを見てアインザッツや長さ、弓のスピードと同じ息で吹こうと。いつも集合集合ではありません。でも要所要所でその神経が必要でなのす」

二楽章からは、少しアンサンブルが整っていった気がしました。


実際ベルリンフィルやウィーンフィルのオケマンたちは、限りなく音楽家として自由に解き放たれていながら、この“集合”を熟知しているのだろうと思う。

それは意識と集中力、価値観の問題で、一人一人の自発的表現が集合すべき時に集合すれば、合奏という音楽体が感覚的にもメンタル的にも健全になると。

楽聖たちは、各々がきちんと楽譜どおりに吹けたり、イメージありきで役割を果たすには余裕の無い者も多いが、それでも集合し音楽が引き締まり奥行きと意味合い、何より力強い説得力を放つ瞬間を経験することで、価値観や感性のスキルが上がっていくのだろうと信じたい。

勉強してこい、人を聞け、きちんと吹けも大事だが、オーケストラが一体化することを経験させるのは物凄く大事だと思う。


結局、大人数でたったひとつのこと、でも一人や数人ではできないことをするというのはそういうことだと、名曲を生み出した作曲家、そんなオーケストラの神様が天上から我々に言っているのだから。


川越へ。


posted by take at 20:28| 活動報告