2016年09月25日

伸びようとしているか?


私たちは常々、今現在の自分の状態を感じたがるし評価したがる。

「今自分はこれができる」
「今の自分にはこれはできない」
「今はこういう立場だ」
「今はこうすべぎだ」
「今はこれはしてはいけない」
「今こうしたい」
「今はしたくない」
「今は楽しい」
「今は辛い」等々…


最近、違う感覚で考えることが多くなりました。

私たちは人生という「時間」を生きている。時の流れの中に身をおいている。大事なのは、その時間が

「どう流れているか」

自分にとって、どう流れているのが充実と幸せを感じられるか、価値の実感があるか。

時間を切り取ったタテの軸ではなく、流れる時間というヨコの軸を意識することが増えました。


人間は自分も他人もクオリティではかりたがる。私たちには今の自分のスキルがとても大事に感じるし、人のこともそのように評価したがる。「自分は“今”これができる人間である」「彼は“今”これができない」みたいな。

しかし長い人生の時間が自分なりに幸せと共に成就するとしたら、それは「伸び続ける」という、変化の時間あってこそだと思う。

自分の人生の柱、そのスキル。コミュニケーション。社会や生きるということの真実を知っていくということ。これらの伸び。

ということは、「変われるような時間を過ごしているかどうか」こそが実は大きい。

実際、給料が上がるじゃないけど、昨日より出来るようになっている自分、理解が深まった自分に人は最も喜びと快感を覚える。そしてその経験こそが、再び「今から更に変わろうとする時間」の原動力になる。

暇潰し的な時間や、何かをこなしているだけ的な自分も、先へ向かうには必要だったりするが、その達成感だけでは、人生の充実からの幸せは結局感じにくい。


たとえば寝ることを惜しんでみたり、短い睡眠時間で活動できる人が「自分は人より長く生きてる」と、

「睡眠 < 起きている時間」

という図式を語る場合があるが、実は間違いだと思う。

寝てる時間こそ、疲労回復と記憶の整理という、翌日からの変化に最も必要な身体の再生に貢献しているわけで、睡眠時間が無いほど「変われない」となる。寝るのは気持ちいい行為というだけでなく、まさしく

「伸びるための時間」

なのだと思います(よし!せっせと睡眠に励もう)。

問題は、私たちが日常の時間、睡眠と同じくらい何かしら上向きに伸びるための変化のための時間を過ごせているか、その内容、プロセスをセレクトできているかだと思う。

今何ができるかではなく、今やっていることが自分を伸ばすためのことかどうか。

現実的に考えてみると、どんどん伸びる人は結局クオリティが高くなるといえる。しかし最初からクオリティが高くても(たまたま才能に恵まれた)自分を伸ばせないとしたら、たとえ世の中から認められ他人からの賛辞を得られても、本人の人生の充実、そして幸せには繋がらない。


さあ、どうやって伸びるか。教えてもらうか、レッスンをうけるか……

いや、答えは自分の中から沸くものにしかない。


自分のクオリティの低さにめげたりコンプレックスを抱く場合があるが、それは欠片も良いことには繋がらないからやめたほうがいい。

それよりは、自分が得意になれるように、自分で何かしら変えようとしているかを見つめたい。今、変えるために自分の時間を選べてないなら、そのことにこそめげるべきだ。

でも本当は凹まなくても大丈夫!

明日から転じられたとしたら、それこそが伸びなのだから。


N響定期。


posted by take at 21:25| 活動報告