2016年09月14日

クラシック


20代の頃はよくカラオケに行ったが、めっきり行かなくなってしまった。学生たちとも、この16年間で3,4回しか行ってないと思う。

そんなカラオケで若者たちが歌う曲には、はっきりと、カテゴリーの変遷があった。

多分2007,8年くらいまでだろうか、学生たちの歌う歌は、リアルタイムのポッピーな曲がほとんど。僕は全ての曲に疎く、ノルのも合いの手もムリムリ。サビすら聞いたことないものばかりで、ポカーンと聞くばかりだった。

それが、ある頃から懐メロへと移行する。平成初期のみならず昭和の歌謡曲まで。ついには、美空ひばりのこちらが知らない曲まで。

たけ「これ、どこで仕入れてくんのよ?」



時代は更に流れ、ニュースを見ると、今は8,9才の子供たちまでが昭和の歌謡曲を熱唱しとる。

どこで知るの?の質問に、

「テレビの特番で」
「教科書に載っていた」
「ネットで探して」

まで。

もちろん、我々昭和原人は数々の名曲の素晴らしさ、そのセンチメンタリズム、メロディーの成功、転調の成功による音楽的質の高さ、豊かな歌唱力による演奏の快感まで、実力は知り尽くしている。

今の若者へのリサーチをしている。

「アイドルなのに笑わないところがいい」
「本音をはっきり歌ってるのが」
「歌詞がいい」
「表面上ではなく真面目なのが」


作曲家等知識人が、人気の秘密を語る。

「何気に短調が多いんですよね……」

裏返すと、今の歌は

「妙に明るいばかりで、アイドルは基本すましておらず笑顔笑顔、表面的で本音を歌わず、真面目な感じではなく、歌詞が良くない」

となる。


悠久の時の流れ的に見つめると、これら昭和の名曲たちは、私たちが言う「クラシック音楽」になったのだと思います。

バッハやベートーベンを何百年経っても演奏し続けるような、人間が後世に残すべく歌い次いでいく名曲として、認定されたのでしょう。

人間が音楽に求める感情として、明るく表面がきらびやかなものも好むが、やはり感傷的で(短調とは限らず)心の奥に染み込んでくるようなものを、生活と思い出の中に残す。そして、メロディーと和声の展開で成功したものこそが、時代を超えて愛される。


クラシックも歌謡曲も、そんな名曲がどんどん生まれる「時代」があるんでしょうね。その後既存を否定するアンチテーゼを柱に、価値観を広げようと実験に明け暮れる時代があり、そして人類は再び「真の名曲」へ回帰し、それをクラシックとして歌い次ぐ、演奏し次いでいく。

新しい世代が必ずこのように選択し、自然淘汰のように、本当に人間の心が欲するものだけを残していく。スタンダードやロングセラーの価値は、人間の本質という本音が、きちんと選択をする。

その中心にあるのは、真に素直な

『感情』

なのだと思います。そういう意味で、かっこつけずに、感情の本音ときちんと向き合っていけばいい。

そんな選択が、できれば良いのでしょう。


川越へ。


posted by take at 23:40| 活動報告