2016年09月05日

仮設の学舎


大槌にて、小中一貫教育校の新校舎が完成したとのニュースを見た。大事な大事な学校なのに、結局随分時間がかかった印象。

学校生活の途中で仮設になった子供たち、これから新校舎に移る子供たち、いろんな立場があると思いますが、結局五年半かかったわけで、仮設の校舎だけで過ごし巣だっていった子供たちもいる。


僕が初めて大槌を訪れて、最初に行ったのが仮設の中学校だった。真新しいプレハブの二階建て。きれいとは言っても、にわかに作られた感は否めないもの。様々なことが簡素になっていることで、瞬間で日常をもぎ取った震災の威力、その恐ろしさが全身に染みわたる感覚に包まれた。

子供たちは、皆明るく振る舞おうとしているように見えた。何度となく、指導をしたり、贈られたという調律のされてないアップライトピアノ(そもそも調律師もおらず不可能)で演奏をした。その行為に対して、全員で表現する謝辞を受けながら、ただでさえ大変過ぎる日常の中で、それが正しいことであり教育であるとわかってはいても、気の毒としか言い様のない、無情な哀しさしか沸いてこなかった。

親のストレスを子供たちがうけ、鬱や不登校も増えていってると、しばらくして聞いた。我が無力を恨み、どうしようもない事実に途方に暮れたりもした。また震災後の、被災者のみならず支援者までをも含む幾人もの自殺の話は、頭を強く殴られている感覚を覚えた。


年月が経ち、中学を卒業し高校生になった子供たちと、KSKコンサートで共演することができた。神奈川の高校生たち、そして大槌高校とのジョイントによる復興支援コンサート。あの中学生たちは、逞しい高校生へと成長していた。今大学生として、東京で暮らす人もいる。

あの頃、僕が仮設で出会った子供たちは常に前向きに見えた。音楽に没頭して見えたが、それは辛い日常とのセットだった。音楽が救いだったことは確かで、無力さを嘆いている場合ではないと、僕が叱咤されているようだった。

「この調子だと、結局ずっと仮設だったって子も出るんでしょうね」

ある時、先生と話したことは結局現実になった。でも、きっと子供たちには暗くない思い出もあるはずだ。

子供たちと一生懸命向き合う周りの大人たちは、常にこの新校舎を願っているように感じていた。時間はかかったが、これがまた新しい復興のタイミングになるのだろう。

しかし、あのプレハブで生活をした子供たちがそうであるように、僕はあの仮設を忘れることはしない。

震災も復興も、まだ終わってはいないのだから。


川越へ。

posted by take at 20:39| 活動報告