2016年09月10日

ブレスケア


弦楽器奏者は、私たち管楽器奏者のようなブレス、息を吸う行為をとても意識すると言う。弦に弓を当てる瞬間のタイミングやノリ、ニュアンスは的確なブレスを取ることで音楽的になると。

ただ一度弾き始めたら、彼らは途中で息継ぎをする必要はない。弓をアップダウンさせ続ければ、隙間なく延々と演奏することが可能だ。


管楽器には不可能な話。


不可能だからか、管楽器奏者にとっては、フレーズの途中でブレスを取ることは当たり前だし、「何か問題でも??」、当然の権利だと思っている。少なくとも、罪だと思っている奏者はいない。

もちろん罪ではないが、だがしかしとってはならない箇所というのは純然とある。


ブレスの場所とは……

〇絶対とってはならない箇所

〇取らない方がいいところ

〇なんなら取っても仕方がないところ

〇取らないと吹ききれないなら絶対そこしかないでしょ

しかない。そして

「取らなくて済むのならとらない」

のが実はいいのだと思います、弦楽器のように。


練習の初期は息の量のコントロールがままならなかったりして、長く続かないことも。その段階で自分で定めた(楽譜に書き込んだりした)ブレスの位置に、実は固執しない方がいい。

さらっていくうちにもつようになるのなら、ブレスの回数は減らしていく。そういう意識のトレーニングも大事。

「有罪ではないが、本当はしない方がいいし、もし回数少なくて済むなら少ない方がいい。その場合も、限られた音楽的補給地を間違えてはならない」

という意識があるのがいい。

そして、補給地を間違えるのは実は有罪だったりするのです。


川越へ。ブロカート。
いよいよ明日になりました。皆さん是非!!

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2016年09月09日

夢見がちな夢


ハイトーンが得意、いわゆるハイトーンヒッターと呼ばれる人がいますが、中でも凄い言われ方をするプレイヤーもいました。

僕は直接、その音を聞く機会はなかったのですが、往年の世界的スター、ベルリンフィルのヨハン・ドムスさんがそう。我が師、シュムーの先生でもあります。

「ドムスは、1オクターブ音域がずれている」

もちろん上に。これはなかなかに凄い言い方です。

ただ高い音域が出るということではなく、僕らのチューニングB♭からハイB♭への吹きっぷりと同様のニュアンスで、ハイB♭からダブルハイB♭までが吹けるということになるのですから。

同じような音色、伸び、音量で吹けたのだとしたら、そらもう驚異的です。ただ出てるという次元ではなく、トロンボーンぷらすトランペットの音域もトランペットと同様に吹けちゃうわけで、人間と金管楽器のノーマルな振動関係を、完全に破壊している神の所業となります。


このドムス評、今までは

「楽器も細管だったんだろうし、マウスピースも小さかったようだし、まあそんな天才もいたんだろうなあ」

くらいの捉え方で、完全に戸棚の引き出しにしまっていました。

しかし最近、少しだけそちらの方向に息が流れることもあり、

「お、もしかしたら、これを貫き通したら、そんなことやこんなことが……」

と、よからぬ妄想が、若き日の自分へと回帰する波をたてています。

嗚呼、大人気ない、嗚呼、大人気ない。そもそも出るわけないし、そうならないだろうけど………


川越へ。

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2016年09月08日

バンダ(パンダ)物語


バンダとは、オーケストラなどで、主となる本来の編成とは別に、多くは離れた位置で「別働隊」として演奏する小規模のアンサンブルのこと。「バンダ」の原義はイタリア語でバンド(英:band)のこと。ほとんどの場合金管が担当する。マーラーやレスピーギ、ワーグナー等が多様した。金管プレイヤーにとって仕事としてのバンダは、拘束時間の短さもありおいしい仕事…のはずだが、そうばかりとは限らない。



☆バルトークの『青髭公の城』。めったに取り上げない作品。N響としては気合いを入れ、時代をときめく若手プレイヤー8人にバンダを発注。オケ中と全く同じ音型とはいえ、終盤のパイプオルガンも入ってのフォルテの場面、素晴らしいサウンドでオーケストラ全体を盛り上げてもらう予定。

舞台裏ではなく、NHKホールのオルガンバルコニーにてのパフォーマンスに決定。客席からの見た目もバッチリ。

結果、パイプオルガンのあまりにデカイ立派なサウンドが鳴った瞬間、その真下で吹く彼らの音、全く聞こえず。ビジュアルだけ楽しんだ感の配置ミス。


☆客席の後方等遠く離れた場所での演奏は、オーケストラとのタイミングが問題。聞いてから吹いたのでは遅く、かなりタイムラグができるため、耳には違和感があるくらい早めに吹くことになる。全ては指揮者の棒がたより。

N響の場合、ステージ上に指揮者を捉えるカメラを配置し、バンダ隊がモニターを見ながら吹くことも多い。 指揮者は、正面斜めくらいに置かれたカメラに向かって指揮をすれば良い。

その時も、あまりに遠い場所での演奏となり、指揮も見るのは困難だろうとのことでこの仕様に。

結果、要領のわかっている日本人指揮者なはずなのに、その場面が来たら、バンダの方を向いて指揮を始めた。当然、モニターにはマエストロの背中のみが映り、遠く離れた指揮棒はよく見えず……


☆昭和の有名な話。

『ローマの松』の舞台裏トランペットソロ。吹き始めた瞬間、掃除のおっちゃん飛んできて

「あんた、今ここで音だしたらダメだよ!!!!」

いつ、どこで吹けばよいのだ?


☆某吹奏楽団定期のプログラムは誤植祭りだった。

メンバー表、トロンボーン、ユーフォニアムの下に、

「チュード」

のメンバーが書かれてある。見たことも聞いたこともない楽器。期待に胸ふくらませ入場を待ったが、チューバを持ったガタイのいい奏者が登場しただけだった。

このプログラム、ローマの松の曲目解説

『…終曲のアッピア街道の松では、大人数のパンダが登場し、曲を盛り上げる』

と書いてある。

場所は錦糸町、上野にも二頭しかいないのに、大人数(?)集めたとは、この吹奏楽団は大した実力だ。会場はそれはそれは盛り上がることだろう。粋な演出、期待に胸ふくらませ入場を待ったが、

結果、五人の金管奏者(人間、しかも知り合い)が登場。素晴らしいサウンドで、オーケストラ全体を盛り上げただけに終わった。


N響、90周年記念公演本番。

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2016年09月07日

変化する変化


久々のジパング練習になりました。

もう18年もやっていると出来上がっているスタイルはありますが、演奏自体にまるで変化がないのかといえば、実はそうではないように感じています。

最初の10年間は、毎年「クァルテットをやること自体が上手くなる」という印象がありました。

これはきっとどの団体もそうで、恒常的に続けていれば、やっているだけで四人共に理解の深まりがスキルを上げ、クァルテットそのものの伸びに繋がるでしょう。

問題はそこから先です。

ある10年目を越えた室内楽奏者から、相談を受けたことがあります。「なんか今までと違う。停滞を感じている」と。

僕自身はジパング12年目に震災を経験し、活動のテイストが否応なしに変化したので、停滞している場合ではなかったのですが、それでも10周年記念公演をやった後は、特にプログラミング、企画に頭を悩ませました。

それまでポンポンと涌き出て、勢いで突き進んだ10年間と比べ、なんだか「新しいこと」へと向きにくくなった。それでも、なんとかいろんな人の力を借りながら、進んではきています。

問題は、演奏のスキルに関してです。僕は前述の相談に対して、自分のイメージで答えました。

「わかりますよ。最初の10年はやり続けるだけで室内楽の演奏法そのものの理解が深まり、メンバー皆がそのテクニックを自動的に身につけていく。しかしそこを越えたらそれだけでは伸びなくなる。ある意味飽きてくるような部分もある。そこから先必要なのは……」

そこから先必要なのは、個人の変化、スキルアップです。個人が上手くなること。クァルテットをやることで得られる変化ではなく、自分が変化することで、クァルテットの演奏を変えていく。そんな流れ。


ジパングは今、50代が二人、50直前が一人、40代後半が一人とそれなりに若くない四人。そしてオケマンとしてもとても長くなった四人です。皆25年以上、30年以上のメンバーも。

オケ自体の世代交代、演奏技術の向上からの影響、何より私たち自身の向上心が、少しづつ変化をもたらしながら進んでいます。

四人で集まって音を重ねてきたこの18年。やってきたことは同じだが、しかし変化することを止めない18年でした。

これからも、新しいジパングを聞いてもらうため、行き着くところまで、変わることを変えながら進んでいきたい。


N響、練習。ジパング。

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2016年09月06日

エニグマ変奏曲


エニグマ変奏曲。イギリスを代表する作曲家エルガーの、これまた代表作。その中の一曲、「ニムロッド」だけはとても有名で、単独で演奏されることも多いが、変奏曲全部となるとN響では取り上げられることが少ない。僕も多分3、4回しかやってない。


今回、ブロカートで5か月ほど取り組んでみました。最初から馴染みにくくはなかった。ただ、やっていくうちに、じつに魅力的な音楽だという確信が日に日に強くなっていく。

本番を間近に控えた今は、毎日の時間になくてはならない(頭の中で反芻しまくる)、たいへんなお気に入り作品となりました。


終曲は、形式としても世界観としても変化があり、それなりにボリュームがあるのですが、ほかの曲はテイストが定まった小品といった音楽たちが連なります。

室内楽的なものもあれば、グランドオーケストラのパフォーマンスもあります。ただそのほとんどが、「もう少し聞いてみたいな」と思う前に終わってしまうくらいコンパクト。しかし物足りないわけではない。

デパートの売り場をちょっとづつだけ覗いていく、バイキング料理をふた口ずつだけ食べていく、みたいな楽しみかたで、そして、その全てを最後に大団円として満足させきるようなフィナーレでしめくくる。

僕はエルガーの交響曲などをやっているとき、そのスコアの入りくみ方や理屈で重ねたような音から

「この人は、相当頭がよくて、ある意味理論派で、なにより懲り性なんだろうなあ」

と感じていました。

しかしエニグマの一曲一曲からは、そのような複雑さは感じません。やり口の多彩さと変奏曲としてのつじつまあわせに、そのこだわり、隠し味的な工夫を練り込んだのでしょう。

音たちは、意外にシンプル。しかしエルガーにしか書けなかった情緒なのだろうと思います。

まだまだ暑さが和らぎませんが、この週末、可愛らしくもかっこよく味わい深い音楽を聞きながら、涼む時間を楽しみにいらっしゃいませんか。


ブロカートフィルハーモニー管弦楽団第37回定期演奏会

2016年9月11日(日)午後2時開演 
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール

指揮 吉川 武典

ホルスト サマセット狂詩曲
ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」
エルガー エニグマ変奏曲

入場料 自由席(一部に指定席がございます)
前売り 700円 当日 1000円 (当日券は午後1時から販売開始)



N響、90周年記念公演練習。川越へ。

posted by take at 21:46| 活動報告