2016年09月15日

明日はソノーレ


明日は「ホルンクラブ アンサンブルソノーレ」のコンサートです。19時から、ダク地下です。

最初に上の文章を入力した時、「ホルモンクラブ アンサンブルソノーレ」と書いていた。気づいて直したのだが、あまりにソノーレを表しているようで無かったことにするにはもったいない、スルーしにくい間違いでした。

70代の人たちが気をはくこの団体は、ホルモンのようにアブラギッシュで味わい深い。柔らかいが噛みきれない(あきらめない)感じもステキ。


今日は最後の練習におじゃましています(僕は司会と指揮)。

年齢がどうこうではなく、会話もサウンドも美味し楽しく、変化し続ける素晴らしさ。

70代U「今までの人生の辛かったことを音に込めるといいんじゃないかなあ」

50代Y「でも、広島優勝したから嬉しくてしょうがないんでしょ?無理じゃない??」

70代K「じゃあこの25年間を込めればいいんじゃないか」

…あまりにも味わい深すぎる。


僕がコメントするのはおこがましいのだが、アンサンブルは年々豊かにハモるようになっています。つまり活動の時間は若々しい息吹きに溢れているのです。

きっといくつになっても、ホルモンを食べるのをやめない人たちなのでしょう。皆さん、聞きにいらっしゃいませんか。


パスポート申請。ホルンクラブ アンサンブルソノーレ。


posted by take at 19:50| 活動報告

2016年09月14日

クラシック


20代の頃はよくカラオケに行ったが、めっきり行かなくなってしまった。学生たちとも、この16年間で3,4回しか行ってないと思う。

そんなカラオケで若者たちが歌う曲には、はっきりと、カテゴリーの変遷があった。

多分2007,8年くらいまでだろうか、学生たちの歌う歌は、リアルタイムのポッピーな曲がほとんど。僕は全ての曲に疎く、ノルのも合いの手もムリムリ。サビすら聞いたことないものばかりで、ポカーンと聞くばかりだった。

それが、ある頃から懐メロへと移行する。平成初期のみならず昭和の歌謡曲まで。ついには、美空ひばりのこちらが知らない曲まで。

たけ「これ、どこで仕入れてくんのよ?」



時代は更に流れ、ニュースを見ると、今は8,9才の子供たちまでが昭和の歌謡曲を熱唱しとる。

どこで知るの?の質問に、

「テレビの特番で」
「教科書に載っていた」
「ネットで探して」

まで。

もちろん、我々昭和原人は数々の名曲の素晴らしさ、そのセンチメンタリズム、メロディーの成功、転調の成功による音楽的質の高さ、豊かな歌唱力による演奏の快感まで、実力は知り尽くしている。

今の若者へのリサーチをしている。

「アイドルなのに笑わないところがいい」
「本音をはっきり歌ってるのが」
「歌詞がいい」
「表面上ではなく真面目なのが」


作曲家等知識人が、人気の秘密を語る。

「何気に短調が多いんですよね……」

裏返すと、今の歌は

「妙に明るいばかりで、アイドルは基本すましておらず笑顔笑顔、表面的で本音を歌わず、真面目な感じではなく、歌詞が良くない」

となる。


悠久の時の流れ的に見つめると、これら昭和の名曲たちは、私たちが言う「クラシック音楽」になったのだと思います。

バッハやベートーベンを何百年経っても演奏し続けるような、人間が後世に残すべく歌い次いでいく名曲として、認定されたのでしょう。

人間が音楽に求める感情として、明るく表面がきらびやかなものも好むが、やはり感傷的で(短調とは限らず)心の奥に染み込んでくるようなものを、生活と思い出の中に残す。そして、メロディーと和声の展開で成功したものこそが、時代を超えて愛される。


クラシックも歌謡曲も、そんな名曲がどんどん生まれる「時代」があるんでしょうね。その後既存を否定するアンチテーゼを柱に、価値観を広げようと実験に明け暮れる時代があり、そして人類は再び「真の名曲」へ回帰し、それをクラシックとして歌い次ぐ、演奏し次いでいく。

新しい世代が必ずこのように選択し、自然淘汰のように、本当に人間の心が欲するものだけを残していく。スタンダードやロングセラーの価値は、人間の本質という本音が、きちんと選択をする。

その中心にあるのは、真に素直な

『感情』

なのだと思います。そういう意味で、かっこつけずに、感情の本音ときちんと向き合っていけばいい。

そんな選択が、できれば良いのでしょう。


川越へ。


posted by take at 23:40| 活動報告

2016年09月13日

伸びる


人生を流れる時間

「変化がない」

というのが一番辛いのではないでしょうか? たとえクオリティ高く成果をあげられても、成長という変化がないことが。

ならば、自分のスキルが

「伸びる」

という実感こそが最も幸せを感じられる、となる。先へとの原動力にも。

実際、毎日欠かさず伸びを感じるなんていうのは、極めて難しいだろう。成果が出るのに、更なる時間がかかることの方が圧倒的に多い。

積み重ねは大事なので、とにかくルーティンとして頑張る項目は必要だろう。ただそれでは、刺激的な変化が実感できない場合も多い。

地道に続けながらなお、

「自分が出来ること、その変化を、探す」

というメンタリティが、最も必要なのではないでしょうか。

これは性分だったりする。「自分は変化しなければ駄目だ」と、常に思ってしまうような性分。それが、伸びや成長のための方策を「探す」という力になる。

物と情報、刺激や美味しいものに溢れた現代の日本で、このことこそが「幸せ薄き実感」の原因だと気づき始めている大人は多い。

まずは自分が変わる。そして若者たちに、そんな生き方を推奨し、自らでセッティングできるために、大きな目で環境をプロデュースするような自分でなくてはならない。


打ち合わせ。ジパング。


posted by take at 00:15| 活動報告

2016年09月12日

ニムロッドの大きさ


昨日のブロカートのコンサートにお越しくださった皆さん、ありがとうございました。

「楽しかった」という声は、団の内外から数多く聞こえました。使いふるされた言葉ではありますが、本音としてこれが聞こえるかどうかは、実は大きいと思います。良い半年間、良い昨日になったのだと思えました。


アンケートの集計も既に進み、感想を目にすることもできています。

やはり、エニグマは「ニムロッド」に対する興味と賛辞が多い。世の中的には、ニムロッドだけが独り歩きしているイメージのエニグマですが、今回取り組んで、音楽全体の魅力、スキルの高さを充分過ぎるくらい感じました。

それでも、ニムロッドへの声が大きいということは、他がいまいちでつまらないのではなく、この音楽が素晴らし過ぎるのだろうと思いました。

一昨日の最期の練習、昨日のGP、そして本番でニムロッドと向き合っている時間は、至福を超えていました。

まさしく、感情ではなく、人生そのものをこめるに相応しい大きな音楽だった。

私たち人類には、そんな音楽もある。


レッスン。ジパング。

posted by take at 23:53| 活動報告

2016年09月11日

誠心誠意


やはり雨が降りましたが、来場の頃にはやんでるかもしれません。

ブロカート、本日14時開演。かつしかシンフォニーヒルズです。

ホルストの「サマセット狂詩曲」。あまり聞く機会はないですが、美しくかっこいい、新しい発見のある作品です。

ハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」。演奏は難しいのですが、人気があるのがわかるハイドンらしい作品。

エルガー「エニグマ変奏曲」。出会えてよかった。本当に素敵な音楽。美しく楽しく、かっこよく感動的。


ブロカートが、他のアマオケ(実際にはほとんど知らないので、団員や聴衆のコメントからですが)と比べて、特徴的なことは

「音楽に対する理解、アンサンブル、演奏そのものに対する丁寧な取り組み」

となるのでしょう。

これは長年付き合ってきた僕やトレーナーのテイストが影響しています。

だからといって、おとなしくつまらない演奏をする団体ではありません。我を見失うように興奮して弾きまくる、吹きまくるというのではありませんが、どちらかというと、ひとつの音楽団体として演奏が成功するために、

「集中して興奮する」

タイプかもしれません。

僕は、団員の皆さんが、できるだけ曲本来のフォルムを感じたり体感しながらパフォームできるよう練習に取り組んでいます。

ここ数回は、本当に「その曲らしい」演奏ができるようになってきました。

実は、大変に難しいことなのです。普通に取り組んだのでは、ぼやっとしたものしかできないのが人間がやるオーケストラ。クリアーに真のフォルムが浮かび上がるには、

「オケマンとしてのスキル、その本物」

を個人個人が手に入れ、その集合体として団体が成熟しなければならない。それは、実は時間も根気もかかること。


皆さん、午後はきっと晴れます。是非かつしかへ。皆さんが言うほど遠くないし、何よりあまたあるホールの中でも上位、素晴らしいサウンドのする箱。

ブロカートは、きっと誠心誠意音楽に奉仕しますから!!


ブロカート、本番。

posted by take at 09:20| 活動報告