2016年08月29日

個人×個人=団体


最近、「日本ならではのチームワーク」というものを見ると、そうではないやり方を模索している自分がいます。

いろんな場面で見ますよね。とにかく団体での規律、集団行動の価値観、調和の美、チームワーク、アンサンブルからの人の輪を重んじる日本人ですから。そこに滲む精神論がとても大事な私たち。

オリンピックでも、個人技に長けた選手の「団体でこそメダルを取りたい」なんて発言も、違和感なく大和魂を感じたり。またそんな団体での成果に、友情と感謝、日本人的人間力、そして情緒を感じたり。

ただ、最近の僕はかなりアマノジャッキーで、本田圭祐じゃないけど

「みんな、チームチームって言うけど、まずは個人やろ」

の方に傾いている。

最終的に、優れたアンサンブル、チームワークは必要だと思います。バラバラでいいとは思わない。

ただ「揃う」を語るにしても、本当に“一子乱れぬ”だけが目指すべき最終目的ではない気がするのです。どちらかというと、

『各々がより際立ち、結果揃ってないわけではない』

辺りに、優れた大人のアンサンブルと、人間がやることの真の魅力を感じたりするのです。そのために、やはり

「揃うだけが大事なことではない」

という価値観が凄く大切な気がします。


個人個人の能力が高いことは、まず前提として大事。そして、その高さを個性も含め「まるで減らさず」発揮するようなやり方、これこそが最も目指すとこではないかと。

結構難しいと思っています。ずれても、揃わなくても場面によってはスルーする選択眼を持たなければならない。そして場合によっては

「揃えにかかるな」

と言わなくてはならない。

本当に個人として全体に対して理想が持てる。更に、本当の意味で一緒に携わる人を信頼できる。自分を抑えたり、殺したりしているように一切うつらない。

日本の場合団体のコンクールなんかもそうだが、調和を体現したメンバーより、統率した先生や監督にスポットがあたりがち。それはそれで違和感を感じる。

大人数でやっているのに、メンバーは努力や精神が称えられ、能力の方は結局一人の統率する人が称えられる。ある意味、アンサンブルという言葉とは距離があります。大人数の方のアンサンブル能力こそを、団体としては評価されるべき。

団体精神論より個人の能力が高くなる方策が今の僕にはとても大事で、そのためには周りの力を借りることはありながらも、自分こそが周りに発信、そして全体に貢献する、そんな環境でなくてはならない。

結果、プロのオーケストラはそうだ。指揮者の素晴らしさばかり語られているうちは一流とは言い難いのだろう。各々のプレイヤーが光り、更にアンサンブルにも長けている。

そこを目指すとして、他人から「そうしろ」ではなく、自らがそう歩むことこそが必要。そのアプローチが、個人がちゃんと伸びる、実は唯一の真理かと。

僕は、間違わず、気合いを入れて、若者たちと向き合わなくてはならない。


N響、清水公演。

posted by take at 22:49| 活動報告