2016年08月06日

まず自分から


私たち日本人は、特に調和や協調を好む民族だと思います。ずれたりはみでたりを嫌い(怖がり)、逆に見事に揃っていることに無類の快感を覚えたり、その取り組みや能力を称えたり。

いろんなジャンルのいろんなトレーニングも、それら重視でなされる場面も多いだろう。その調和や協調の中から個人が技能やメンタルを学んだり、スキルアップしていくことを奨励しがち。自分がまさしくそうだったりする。


しかし、

「揃えよう」イコール「同じように」イコール「はみ出ずに」

というスタンスの取り組みというのは、実はある種の危険を伴っている気がします。

実は知らず知らずのうちに、個人から奪われる能力がある。多岐に渡る自分の能力のうち見つめなくなる力がある、とでもいえるか。

そのせいで、作り物のような「調和完成物」は作れるが、構成員の潜在能力がフルに発揮された、

『生き物のように躍動的生命力に溢れ、即興的なアプローチからしかでてこない刺激的色合いが輝き、哲学的ともいえる奥行きが感じられる』

などの、豊かな感性が滲み溢れまくっているような表現は望めない。


それでも多くの日本人は、各々が好き勝手にするようなタイプの投げ掛けは怖くてできないだろう。

実は、好き勝手ということではなく、ただただ自分自身で自発性と向き合うようなことを要求するのが良いのだと思う。というか、これこそが必需。

周りを聞いてから自分を表現しようとするのではなく、自分がきちんと表現してから周りとのバランスを意識する。決して周りを無視するわけではない。全体の魅力をしっかり意識し高みを目指すために、自分が出来ること、自分の中から発信することをフルにやろうとする。

細やかなテクニック、安定した基礎能力の習得の為にも、調和と協調に意識を向けすぎるのは危険。進む力より、引く力の方が自然と強くなったりするから。

外から自分に向いているエネルギーに自分のスタンスを委ねるのではなく、

「まず自分から」

と進もうとすることで、初めて自分のやりたいこと、やれること、そしてできてないことを見つめ始めたりすると思うのです。


川越へ。

posted by take at 22:05| 活動報告