2016年08月11日

短めに


最近、自分がする話が長いのが自覚できるようになってきました。前から長かったのか、最近長くなったのか。とにかく自覚は最近。

理由は、このブログの執筆含めネタストックが増え、いくらでも飛び火ができ、しかしガールズトークのようにひとつを短く、内容も適当、ほどほどにと出来ないため。

こうやって、じーさんの話は長くなるのかと……終了。


レッスン



posted by take at 16:38| 活動報告

2016年08月10日

味噌幸


外国人に聞いた 「いつまでも残って欲しい日本の食」 というので大方の予想、しーすーを抑え第一位だったのが

『味噌』

だったのだそう。ちなみに寿司は第二位で、かなり差が開いていたとのこと。

生徒から聞いた瞬間、なんだかプチッと感動してしまいました。味噌で嬉しかったとでもいうか。

やはり来日外国人に、「ラーメンのスープ四種類、しょうゆ、塩、味噌、とんこつを飲んでもらいどれが好きか」、の時、断トツ一位がとんこつでたいそうビックリしたことがある。考えてみたら唯一動物性であり、「西洋人はやっぱりそっちでしょ」と言われると納得できるが、でも納豆と一緒で 「自分は日本人として大好きだけど、そらこれだけ臭いもん、普通は好んで好きにならんやろ」と考えてしまう。

しかし僕なんかがつまらん頭で考えるイメージより、世界の人々の味覚には奥行きがあり、本当に美味しいものは、育ちや遺伝子までをも凌駕していく力があるんだなあと。


味噌とは、大豆や米、麦等の穀物に塩と麹を加えて発酵させて作る発酵食品。大豆、小麦、塩を原料とし、麹菌、乳酸菌、酵母による複雑な発酵過程を経て生成される醤油ととても近く感じられ、まさしくこれらの行き着く味こそが

『日本の味』

なのでしょう。

醤油は、外国のスーパーにおけるたち位置もなんとなく理解しており、みんな知ってるソイソースだが、世界中で何をおいても凄く求められている、という印象にはならない。日本食が好きな外国人にとっては、そら寿司も刺身も醤油なわけで、お馴染みのテイストになったんだろうなあとは思うのですが。

私たちはそんな醤油を愛しながら、更に味噌には強いロマンを感じている。

醤油はとにかく口に入れると「いつもの当たり前な喜びがそこにある」、てな感じだが、味噌は思わず目を細め「むふぅ〜ん」と味わってしまい、トロリ豊かな奥行きに、安堵と日常の喜び、身体への優しさを感じることになる。宇宙のような拡がりと包容力が味力。

もちろん塩分取りすぎは身体にはダメージだが、しかし生きていくのに必要なエネルギーは、先人の味覚と知恵としてその塊の中に凝縮されている。環境や気候、暮らしと歴史が味噌を生む力、そして愛情へと向かったのでしょう。


そんな凝縮された日本人の知恵と思い、そこにある愛こそを、世界が「残したい」と思ったのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。これこそが、私たちの金メダルなのではないだろうか。


山梨での味わい深い『ほうとう』、汗をかきながらも「美味しい」の言葉が絶えず味噌のスープを幸せそうに楽しむ生徒たちを見ながら、改めて日本人である喜びと誇りを感じるのでした。


合宿最終日。

posted by take at 23:14| 活動報告

2016年08月09日

彼らの合宿


例年の合宿と違い、今年はとにかくアンサンブルが主軸。13日のコンサートに向けての練習が大半を占める。

僕は立ち会ってはいるが、あまりレッスンらしきことはしていない。ビデオ係みたいなもんです。

彼らだけで、ものも言わずに理解とクオリティを上げていく練習シフト、更に積極性をあげていくシフト、これら二種類のオリジナル練習法があり、それを繰り返しやりビデオで確認して。

よって、僕があれこれやるレッスンはほぼない。もちろん彼らが積極的にディスカッションしながら進めている場面もある。

今年になって開発されたこのふたつのシフト、そして学生たちの豊かな人間関係と交流が、自発的で議論と笑いの絶えない合宿に仕立てている。

この春からの全員の基礎能力の向上も感じられ、僕はコメントが少なくてすんでいる。

学生の合宿として、本来あるべき形に近づいてきている。

私たちの学舎はひとつ先のステージへ進んだ、そう感じられ、嬉しい印象と共に若者を見守る喜びを感じながら、山梨西湖のほとりの時間が流れている。


沖縄県芸、東邦音大合宿。

posted by take at 16:24| 活動報告

2016年08月08日

つやっつや その2


先日書いた、「艶を求めることを優先する」というのが、とても重要な気がしてきました。

よく「プロっぽい音になった」、「それなりにいい音だけど、まだまだ学生っぽい」なんて言ったりするが、プロらしいというボーダーラインとして、艶と響きが一定レベルを超える必要性を感じる。

多くの奏者の意識として、柔らかさを求める人は多いと思うが、それだけだとサウンド自体が

「くすむ」

可能性もある。ノイズやぼやけたフォルムを柔らかさと感じてしまい、暗く実体の薄い煙りのような音になってしまったり。

そうならない方向へ自分の意識が向くために艶を求める。

具体的には、スムーズな息の流れと、ノイズのない密度の高いサウンドを目指すことではないかと思う。

高い密度がスムーズに流れれば、必ず響きも増えるはずで、その解放された要素がキラキラし艶につながるかなと。


東邦音大、沖縄県芸トロンボーン合宿。

posted by take at 19:06| 活動報告

2016年08月07日

様々な取り組み


「初見能力」は当然高い方が良い。ただその高さと楽器のサウンドや技術、その洗練とは必ずしも比例しない。つまり、初見ができるからといって楽器が上手いとは限らないということ。

きちんと読めるようになるまで随分時間がかかる人がいる。一回目読むのは苦手だが、三回目くらいになるとかなり読める人も。そして一回目からすらすら読める人も。

初見はやはり楽譜を数見ながらどんどんトレーニングするしかない。大抵の人はそうすればいつかは読めるようになる。

しかし読めるけど癖があり楽器が上手くコントロールできない人は、楽譜をどんどん読むだけでは解決しない問題を抱えている。

またいつまでも読めない人もいたりする。

トレーニング方法は、やはり多岐に渡らなければならない。様々な角度からのアプローチを理解し、実践しなければならない。


沖縄県芸、東邦音大合宿。

posted by take at 20:09| 活動報告