2016年07月30日

トマトとの距離


トマトジュースが特に嫌いだという人がいる。きっとそれなりにいる、

「トマトソースやケチャップは好きだが生のトマトはノーサンキュー」

という人の意見だろう。

実は、「トマトソースもケチャップも含めトマトファミリー全てが嫌いだ」という人に僕は出会ったことがない。しかし上記のような人は多い印象。そして、トマトジュースが嫌いという人も。


僕はですね、常時自分で買って積極的に飲むというほどではないのですが、喫茶店にトマトジュースあるとかなりの確率で頼みます。

薄いのは好きではなくドロッとしてるくらいがいい。そして、氷で薄まることはトマトジュースには天敵だと思うくらいなので、大抵

「氷なしで」

とスペシャルオーダーをする。実はこの手の人は結構多い。同じオーダーをする知り合いも、何人かいる。

そんなトマジューファンだが、嫌いだという人の気持ちが実はわからなくはない。納豆と一緒で、自分は好きだが嫌がる人のポイントも感じてしまうくらい、独特の個性を感じるからだ。

実はこのブログには、それなりの回数トマトが登場してきたようです(他人事)。僕にはそれだけ興味ある食べ物なのですが、不思議に思うものでもあります。

さっきも書いた、トマトソース味やケチャッピーなものの愛され方は大変にグローバルであるのに、生のトマトが苦手な人は多い。昨今は酸味も後退し、代わりにフルーツ並みに甘味の台頭激しいトマト業界だが、それでも嫌だという人も。

そして、トマトジュースのメジャーにならないさ加減。だって、トマトが液体になってるって言えば、ケチャップだってトマトソースだって同じなのに。

限りなくトマトそのものに近いからか?

でもトマジュー派の僕は、余分なもの入らない、加工してないのが好きなわけで。


トマトと人間の関係というのは、凄く複雑に感じる。世界を席巻する実力がありすぎるやつだし、アンチを作る力もある。個性は強く、それでも最近は、好きな野菜の一位を獲得し続けている。


今日熱い本番が終わった暑い川崎の空の下で、缶のトマジューを一気飲みした。飲みたかったから美味しかったが、でもやはり余分なものは入っていてほしくなかった。

「ほら、飲みやすいでしょ」

みたいなのが、人類との距離を近づけようと努力しているのはわかる。

わかるのだが、そうではないトマターもいるのだ。


N響、川崎公演。

posted by take at 22:55| 活動報告