2016年07月27日

もがく


今日のレッスンで気づいたことがありました。

楽譜に書いてある音量を本気できちんと表現しようと、一生懸命演奏している姿は美しいのだと。

プロなら当たり前でそうは思わないでしょう。しかし勉強中の人は、少なからず

「今までは意識できてなかったことと向き合う」

というタイミングはそれなりにあるわけで、決して簡単ではないそのことと格闘する姿から感じる音楽というのは、明らかにありました。

そして彼は、プレイバックを聞いて全く思ったようにたどり着けてないことに傷つきへこんでいます。

これからはこのことと向き合い続け、もがいては実感を手にした気になり、しかしその勘違いから再び物足りなさにさいなまれ、またもがき……を続けるのでしょう。

それは一瞬気の毒に感じることではあるけど、結局そうやってもがいた人の演奏しか、人の心に届くメッセージを伝えることはできない。


楽譜というのはつくづく厄介なものだと思う。奥行きがありすぎて。

結局音にしてある作曲家に芽生えた感情を探しても、その本物の姿を理解するにはこの記号は簡略になりすぎている。正確に再現すると多少は見えてくるが、そこから更に人間である自らの内面で向き合い、擦り合わせるように探し求めないと本当は何だったのかはやはりわからない。

もがいた末わかった気になっても、自分を介して作曲家と真反対にいる聴衆の心にある感情的なひだを揺らせるとは限らない。彼らの気分は様々であり、また趣味もあるから。

それを凌駕して感動を呼び起こせるとしたら、結局


もがいた


という時間の積み重ねという事実のみであり、私たちはその底無し沼のような、しかし幸せを夢見ることができる未来に向かって、自ら心と身体を投げうっていくしかないのでしょう。

辛いと感じるかやり甲斐と感じるかは人それぞれ。

ただ、真摯な眼差しで楽譜を見つめる彼の眼、息を送る姿は、少なくとも僕の心を動かすものではあり、とても価値を感じた瞬間となったのです。


川越へ。

posted by take at 21:26| 活動報告