2016年07月25日

精査


練習には、とにかく反復するパターンと、頭を使い(何かしら工夫をし)できるようになっていく二種類があり、私たちの人生にはこの両方が必要。これは確かなことです。

「習うより慣れろ」なんて言葉もあり、とにかく反復し身体に染み込ませていき、自動的に出来ないことを克服してきたことは、今の僕の音楽や技術の、それなりのパーセンテージ占めているのだと思う。

それはきっと「あーだこーだ」と理屈を考えたり語ったりしても表現不可能なプロセスであり、回数、上から塗り重ねたことで、意識とは別に、まさに身体が熟成させ克服に至ったことなのだろう。

もちろん意識にも影響はある。回数試すことは、細かい異なるパターンを数々経験値として持つことで、確固たる安心からの安定に繋がる。

これら「反復練習を讃える」ことをしてなお、考えることの重要性に勝ることはない気がする。


反復練習は「努力」とも表現しやすい。ある生徒に、イチロー選手の印象を聞いたところ、まず

「努力の人」

というコメントが聞けた。じゃあ、イチローほどの成果が残せない選手は、皆イチローより努力が足りないのだろうか?

そうではないであろうことは、容易に想像がつく。きっと、時間も内容もマックス努力しているが、イチローほど野球マスターになれてない選手は山のようにいるだろう。それは何?身体?才能?

僕はイチローは野球マスター、つまり野球を凄く「知っている人」に見える。

打ち方を知っている。守り方を、走り方を、他のどの選手よりも知っている。知っているから打てる、知っているから守れる、知っているから走れる。

それはイチローが、当然反復練習をしながら同時に野球の技術、打つことや守ることや走ることと、身体やメンタルの理想を

『精査』

してきたからにほかならない。

精査とは「詳しく調べること」という意味。

トロンボーンや自分を精密に調査する。自分の演奏を精密に査定する。そんな資質は実は常時必要であり、その上での反復練習こそが私たちの時間を有意義な変化へと繋げる。

両方必要だ。精査ばかりして、理屈と口ばかり優秀になっても、トロンボーンマスターには決してなれない。

ただ精密に調査、精密に査定できない人は、実はもっと吹けない人であることも真実だと思う。


川越へ。

posted by take at 22:07| 活動報告