2016年07月19日

ビジュアル系


僕はCDと実演では、それが同じ演奏であっても、その長さは違うと思っています。

CDはとにもかくにも音が突然スタートするわけで、そこからが演奏になる。しかしコンサートは、管楽器奏者だと息を吸って、弦楽器奏者だと弓を振り上げ、ピアニストだと腕を上げて音が出る予備運動をするわけで、聴衆としてはそれを目撃することにより、音が出るタイミングやムードを察知することになる。ここから既に始まっている気がして、ライブの方が演奏時間は長いと思っているのです。

この息を吸う姿を見て、どのタイミングで、どのようなニュアンス、どのような音量の音が出てくるのか、それが聴衆に予測がつき、答えあわせのように合致することは、実はとても大切なことだ。

逆に言うと、違和感をもって音が迎えられたとしたら、それは音楽的というのとはほど遠いのだと思う。

柔らかく出てくるのだろうと思っていたら激しく登場。はっきりとテンション高く来るのだろうとイメージしたらふわっときたとか。

つまりこれはインプットとアウトプットが同じキャラクターになっていないということで、音をのばすための燃料として、

「とりあえず身体に空気を入れてためればよい」

という価値観で吸っていることになる。

実は、ここにしっかりギャップがある、吸っている姿に音楽が感じられない人というのは、イコールその瞬間に

「イメージを持つ」

ということができてない人だ。この唯一のイメージタイムに持てないプレイヤーというのは、音が出てからその音をなんとかしようとする、つまり後手にまわってしまっていることになる。

実はこの瞬間こそ、結果ビジュアル系でいることは大事だ。聴衆に見せてやろうという意識は必要ない。ただ、次の瞬間の音と音楽のために、自分の強く深いイメージに浸りきればよいだけ。

あるバイオリニストの言葉

「弦に弓をあてる瞬間には、必ずイメージをもってなくてはならない」

も、実はこのことを見事に表現した真理である。


高松一高、レッスン。

posted by take at 15:47| 活動報告