2016年07月13日

木の精度


沖縄へ来てレッスンをしながら、昨日、一昨日書いた「ムラ」、「木と森」という考察はセットになるということ、そしてその重要性を感じています。


私たちがトレーニングをしたり曲を仕上げていくというのは、基本「ムラを無くしていく」という行為だと思います。

音域やスピード、音型によってできたりできなかったりは駄目ですし、曲も問題なく吹ける部分と出来ない部分があるわけにはいかない。そして練習をする意味としては、純然とこのムラこそがあるからということになる。

出来ないことがあるのを放置したり、「まだ練習の途中です」といったパフォーマンスになるとしたら、それは

「全ての木を見つめておれず、森をざっくり見ている」

ということにもなる。なぜなら、出来ない部分というのは一本ないしは数本の木という「小さな森」であり、それを完璧な森にするためには、結局一本の木の精度を上げ、高まった木を並べることができなければならないから。


初見から楽譜を見ていく時、やはり最初から全ての木の精度を意識が見つめることは大事だと思います。一本一本の木は散らかってしまっているなんとなくの森を繰り返し再現してからだと、そんな森が身体と意識に染み、それに満足し、場合によっては安住してしまう可能性もある。

そういう意味で、当然木を見て森を見ずは駄目だが、一本の木を丁寧に見つめることができる感性、取り組みこそが最も必要。そしてきちんとその木を並べ、森の起伏、形状、美しさまでに取り組めなくてはならない。

楽聖たちの問題、自分の問題の大半は、ムラがあるということであり、その原因は

「木を見つめる精度、そのムラ」

だと言えよう。


沖縄県芸、レッスン。

posted by take at 08:51| 活動報告