2016年07月09日

善意の人


「善意の人」という単語を聞いた。ある人を評しての言葉として。

善意の人がいるなら悪意の人もいることになる。ただ、心が澄みきっていて悪意は欠片もなく、100%善意という人っているのだろうか。100%悪意とか。

いないでしょうね。基本ポジティブ基本ネガティブと同じで、軸足がどちらにあり気味かと、各々が自分の中に派生するパーセンテージの問題なのでしょう。

ただ、善意の人がやらないこと、悪意の人がやらないことというのは必ずあり、お互い

「誰だってそう考えるに違いない、誰だってそうするに違いない、誰だって場合によってはそうする、誰だっていずれそうなる」

と考えるのが一番違うと思います。違うというか危ない。

お互い、自分の知らない世界が相手の中にあるわけで、たとえ少ないパーセンテージを持ち合わせていても、思考のパターン、行動のパターンは、後付け的に理解はしていけても、決してわかりきらないものだと思います。わかった気になるのが実は怖い。


善意は基本歓迎されるが、悪意を知らない善意は、時には力弱かったり、人を傷つけたりもする。

力強い悪意というのは大変に困るが、力強い善意こそを宿すためには、自分の中にある悪意と、はっきりと向き合う勇気と知性が必要なのでしょうね。

それを認めた上でそれをコントロールする。そして、基本悪意の人を見定める洞察力をもちながら、否定しきらず前へと進むことだと思います。


え?お前は自分をどちらだと思ってるんだ??

そら、よく登場する我が悪意に負け気味な善意の方なんじゃないでしょうか?

ち、違う?????


N響練習。ブロカート金管分奏。

posted by take at 20:18| 活動報告