2016年07月07日

大学生と時間


日本の大学、外国の大学。その違いを語る時、一番メジャーなのは

「日本の大学は入る時が大変、後は楽。外国の大学は入るのは簡単、卒業が難しい」

最近は言わないかなあ。10年くらい前まではよく言ってた気がする。


日本のあの頃は、現在の韓国や中国のように 「受験戦争」 「受験地獄」 なんて言葉が若者にプレッシャーをかけまくっており、国公立も有名私立も合格すれば大騒ぎ。大学の間は人生の中での猶予を貰ったような気分で学び、遊び、卒業に関しては試験のレベルが大変というよりは単位が取りきれるかであり、凄い難関というイメージではなかった。卒業よりは、これまた入るためである就職試験の方が難関ハードルだった。

外国の大学のことは詳しくは知らないが、入学は全然大変ではない場合も多いと聞く。国によっては学費も無料だったり、びっくりするほど安価だったり。しかし学年が上がるに向けてのレベル査定、そして何より卒業試験が大変に厳しい。トロンボーン専攻なら、アルブレヒツベルガーとマルタンとトマジとクレストンを完璧に吹かなければならないとか(妄想しすぎ?)。


昨今の日本の大学状況は、かつてとは随分変わってきた。少子化の波は目に見えて激しいが、大学の合格枠は変わらないので、私立大学は学生の取り合い。国公立大学も合格者のレベルは高いのだろうが、倍率自体は明らか下がってきている。

そして内容も。実は年間授業日数は増えている。大学によっては、夏休みはじめとした休暇も高校までよりもかなり短い。かつてが緩かっただけだが、様々な授業、音大なら音楽関連のみならず一般教養への出席査定は厳しく、(これはもちろん良いことだが)合奏やアンサンブル他、参加しなければならないことも増えた。更に学費の高さ、親の経済状況により、ガッツリバイトしなければならない学生、いわゆる苦学生も増えた。

つまり今の日本の音大の学生は、あの時代よりも忙しくなっていることは確かである。自由がきいたあの時代と比べ、設定された義務的取り組みの枠が増えた学校としての雰囲気は中学高校に似てきており、場合によっては中学生高校生より忙しい。

義務教育から高校、そこから社会に出るまでの間の数年間、自立を身につけよとの如く、自由になる時間が与えられ、学問にも恋愛にも遊びにも、更に怠惰な時間にもせっせと励み、失敗成功繰り返しながらいろいろ考え、成長した上で社会へ出ておいで、といった「猶予風時間」というテイストは、大分薄くなった気がする。


しかしどうだろう。学舎として、厳しく充実していることは大事だし、「脱ゆとり」なんて言い出してるからこれから更に厳しくなるのかもしれないが、内容の充実こそを望みながらも、実は大学生に一番必要なのは


「時間」


ではないだろうか。

「いや、授業は休まず出るべきでしょう、学生の本分ですから。レッスンだ練習だで休むというのは本末転倒でしょう。そのために放課後練習ができるようになっているじゃないですか」

ある一般教養の先生の言葉。それぞれの授業を担当する先生の側からしたら、そういう意見になるだろうが、そんな教員たちが大学生だった頃は、もっと総じておおらかだった。

あれやこれやで多忙になったとして、許容量とアイテムの多さからくる集中力の限界により頭に入らない、つまりそこに居合わせたけど何も残ってません、なんてことにもなる可能性も高い。

ある意味、独善的感覚風思い出だが、僕が経験した学舎、昭和の終わり頃だったが

『専攻最優先』

で、他のことは、なんとその先生方の方から多目にみてくるスタンスで、こちらがびっくりしたほどだった。「皆さんは音楽と練習に集中して、立派な演奏家になってください」と。学生の不真面目な取り組みを、本当におおらかな目でみてくれた。実はそうであっても、真面目に出るやつは出るし、出ない者はでなかった。

授業のみならず、とにかく大学生たちは自由だったイメージが強い。

何より時間があった。

忙しくさせたがる人たちが不安に思う、不真面目でだらけた人間になるのは実は簡単だったかもしれない。しかし追われていたイメージはなく、その分結局あれこれ考えることは凄く多かった。音楽、楽器、自分の価値観、不安な未来、お金、コミュニケーションのこと、恋愛、そして人生。


大学生が、そもそも何をすべきかは、周りはいろんな考えがあるだろう。

しかしあの世代、あの立場に、もっと時間を与える環境であってもよいのではないだろうか。


ジパング。

posted by take at 21:51| 活動報告