2016年07月05日

自分こそが作る


「卒業してみたら、自分には何にも残ってませんでした」

なんと悲しい言葉だろうか。僕は聞いた瞬間、涙がでそうになる感覚に襲われた。音楽の学びをもってしてこの言葉。いったいどんな時間が流れたというのか……



オーケストラであろうがブラスであろうが、合奏に参加しないと得られない喜び、スキル、学び、気付きは数多くある。

様々な楽器の音を感じ、調和したり分離したりとアンサンブルをする。素晴らしい指揮者の下、魅力的な音楽性や一体感、大音量なども感じたり、何より合奏作品の素晴らしさ、場合によっては数百年に渡って愛され続ける名曲を体験できたり……


しかし乱暴な意見が許されるなら、合奏練習の時間には多少の苦痛という副作用が全く無いわけではない。一時間の合奏が一秒たりとも退屈せず、喜びと学びと気付きで満ち溢れていればそんなに素晴らしいことはないだろう。

しかしそうならないことも多々ある。それはいくつもの制約が、純然とあるからだ。

まず合奏は、自分のタイミングで好きに音を出すことは出来ない、当たり前だ。指揮者のテンポやアインザッツ、バランスや場合によっては歌い方まで要求され、反抗はもっての他、従順でなくてはならない。自由にビールを飲んだり、せんべいをかじったり、メールをしたりもできない。トイレに立つのも一苦労だ。

これらは、アンサンブルの練習の方がまだやりやすい。時には自分こそがスターターやテンポメーカーになれたり、旋律がきたら思う存分歌えたりする。仲が良ければビールも許されるかもしれないし(か?)、トイレは行きたい時に行ける確率は上がる。


そんな「自分のペース」が一番顕著なのは、一人で吹くとき。基礎練習やエチュードの練習、そして何よりソロを練習したり披露したりする時間は、逆に周りからの制約に、自分のやる気と始めるタイミングを委ねるわけにはいかない。自分の勤勉さと、本当に持っている音楽性や知的な考察、そして取り組むのは「今でしょ!」という判断力によるものにしかならないし、その結果の責任も他の誰でもない、自分にしかない。

「ノー言い訳、イッツ・ア・マイミュージック」である。

そして実は、そこにこそ100パーセント、クリエイトする喜びがある。この

「自らがクリエイトする」

ということこそが、音楽大学生の時間全てにおいて最も必要で大切なことだ!

実は指揮者がいようが、授業として先生やトレーナーがいようが、合奏もそうでなくてはならない。自分で(自分たちで)ニュアンスを作り、自分で音色を作り、自分でバランスをとり、自分でアインザッツを揃え、自分でハーモニーを調和させ、自分で音楽的な表現をしなくてはならない。たとえ制約によりストレスを感じたり、怠惰な空気に自分が包まれても、やらなければならないことはそれだ。

なぜなら、そうしなかったら、どんなに素晴らしい合奏の場に居合わせ、どんなに素晴らしい拍手と喝采を浴びても、卒業したら自分の中に何も残らない、なんてことが起こってしまうから。

そんなことは、当人のみならず周りの誰もかけらも望まないこと。大学とは、そうならないため、トロンボーンでできること、ソロから合奏まであらゆる取り組みがバランスよく設定され、それぞれに対してクリエイターとして積極的にスキルと変化が手に入れられる環境でなくてはならない。

しかし、たとえ環境や周りからの要求が片寄っていたとしても、自分の時間と結果が空虚なものにならないようにするのは、これまた他ならない自分である。


燃え尽き症候群になる人は、結局自分でクリエイトする経験ができず(自らが選ばず)、本来の演奏の喜びであるそれを知らずに、音楽をやりきったという勘違いに支配されてしまう。

そうならないために、これまた大学生に必要なのは、実は「時間」だと思うのだが、これについては次回書きたいと思います。


川越へ。

posted by take at 23:14| 活動報告