2016年07月01日

音楽と正解


若い頃、20年ほど前だが、ヨーロッパにてある演奏家とこんな会話をした。

「吉川君は、どんな音楽を探しているの?」

「自分の音楽ですね。自分が納得できる音楽」

「そう。僕は、正しい音楽を探してるよ。正しい本物の音楽」

少なからず驚いたのを覚えています。僕は自分だけの個性を求めていたんだろうが、彼の言葉は

「実はどこかに唯一の正解が存在するんだよ」

と言っているように聞こえた。


オーケストラを長くやっていると、演奏の正解なんて無い気がしてきます。同じ曲をいろんな指揮者でやりながら、「これが正解だろう」と感じるより、「これはかなりいい」「でもこれもいい」なんてことを思いながらやっているから。

実際N響の定期に招く指揮者たちは(たまに例外もあるが)、世界中にあまたいるマエストロの上澄みの方々。ベルリンやウィーン、ニューヨークやシカゴなんかを振る人たちだが、実際演奏はそれぞれ個性があり、響き含め同じではない。

正解はいずこ? なんて気持ちになる。

しかし、選ばれている基準はある程度見える。「変なことはしない」という基準。それ自体は、とても大切なこと。


もし正解があるとしたら、それは人生と被るものかもしれない。若い頃は本物を目指すと同時に、「他の人と違うこと」というものを探そうとする。そして、そんな過程で刺激を見つけると嬉しくなり、更に誇張する喜びに価値を見いだしたりする。

しかし年齢を重ね、人生の流れの真実やそれに相応しい生き方を少なからず意識してくると、実のあることを積み重ね続け、時間と共に自然に派生する波と、その向かう先にある頂点、そして朽ちる現実を意識した取り組みに変わっていく。

何より、作曲家や周りに対する感謝と敬意は、おのれの自我を抑え、音楽や演奏そのものに奉仕するというスタンスこそをやるべきだと、若い頃より心からの確信としてもちながら進むことができる。


それを装備しているということが前述の基準にうつるが、そういう意味で正解というのは、演奏にあるのではなく、音楽と共に生きている、その生き方のことを指すのかもしれない。


N響、岡山公演。

posted by take at 17:54| 活動報告