2016年06月23日

絶対優先されるべき必要不可欠


管楽器を吹きながら、頭の中で階名で歌う人とそうじゃない人がいる。

僕はそうじゃない人。

階名人からすると 「じゃあ何歌ってんの?」となる。

う〜ん、ただ ♪ターーンタラタタター♪ かなあ、いや違うな、それすらわからないなんか言葉にならないもの。

ダビットだったら、階名人は ♪ミーーッシソミソシィーー♪、ないしはベー読みの方は ♪ファーーッドラファラドーー♪と、吹きながら頭の中で歌うのでしょうね(ベー読みツェー読み論争はまたいつか)。

僕は実態のない ♪んーーンんんんんんー♪ かなあ。逆に階名が歌えるのが不思議でしょうがない。神業に感じる。

あるプレイヤーと話していて、不思議に思ったので質問してみた。

「例えば、ラシドレミって音形があって、頭の中で♪ラシドレミ♪って歌っても、舌の発音がラシドレミにはならんよね、当たり前だけど」

「それはそうですね。考えてみたら不思議っちゃあ不思議ですが、♪ラシドレミ♪と歌いながら発音はタタタタタと」

そらそうだ。ただここにひとつ大きなポイントを感じます。

頭の中で音楽を明確に歌って、でも楽器で表現するときは楽器用に的確に身体が動く。ラシドレミと歌ったからラシドレミと発音してしまうなら、フォルムははっきりせず発音ムラだらけになってしまう。


そう、身体というのは楽器用に動く。


細かい楽器の操り方。トロンボーンなら舌、腕(指、掌、手首、肘、肩まで)、息、口の周りや中、腰等あらゆる部位の動きは、全て楽器のための、楽器バージョンの動かし方。

頭の中、心の中に沸き上がる音楽が、階名でもラララでもんんんでも、身体はきちんと楽器用に動く。つまり、その点ではイメージと身体は別々になることができる。

だからこそ、楽器の操り方(の理解は大事だが)よりも、タイミングや音程がきちんと頭の中で確固として沸き上がり、それが先導し身体が付いてくる、実際は同時のように感じるが、それこそが必要なことだし、必要な順番なのでしょう。

頭の中がはっきりしてない人ほど、それと身体が混在して意識を支配してしまい、全体が曖昧になる。

本当は思ってもないことを喋っている状態のようなものか。喋ること自体を優先して選び、整理つかないうちになんか格好を整えようと声にしてたら、わけわかんないこと言ってるみたいな。顔つきやしゃべり方、話の脈絡も不自然でコントロールきいていない可能性は高い。

演奏なら、自分の本音の音楽でないみたいなものか。吹くこと自体を優先して選び、整理つかないうちになんか格好を整えようと音にしてたら、わけわかんないこと吹いてるみたいな。音程もリズムも音量も、発音はじめ身体の使い方はコントロールきいていない可能性が高いとなる。


頭の中が階名であろうが何であろうが、身体は分離して的確に動くようだ。つまり沸き上がるべき必要不可欠なイメージは、明確なタイミング、明確な音程という意識であり、それこそが曖昧であるべきではない。

曖昧になってはいけないのは、身体ではなく頭だ。頭さえはっきりしていれば、何故だかよくわからないが身体は的確にはっきり動いてくれる。頭がはっきり定まってなければ、身体もしどろもどろにしか動かないし、右手と右足が同時に前へ出たりもするのだろう。

そういう意味で、楽譜のさらい方、順番というか流れというかとても大事。これについては、また明日書こうと思います。


N響定期。

posted by take at 11:31| 活動報告