2016年06月22日

音にも人にも耳を


私たち人間は、常に二面性と向き合う。ほとんど全ての事柄にふたつの真理があるように、演奏の目指し方にもある気がします。

細かく表現に着目すれば、そりゃ凄くたくさんの魅力的やり口はある。

しかし大きくわけると、

「今この瞬間で、歌を表現しきろうとするか」



「未来へ向かってひとつの歌を貫こうとするか」

かなと。違う言い方をすると

「常に今この瞬間で感じてもらおうとするか」

「先にある魅力のために奉仕する歌い方であるか」


人生そのものなら、あまり先のことにやきもきせず今を一生懸命生きることは大事だと思います。しかし演奏行為は、やる側としては、どう始まりどう展開しどう頂点を迎えどう完結するかは早い段階でわかっているわけで、未知の時間を歩んでいるわけではない。

今目の前の音符から魅力的なニュアンスを探し、見つけ、引き出してくることはとても大事なことだが、楽譜全体から見つけることはもっと価値あることだろう。驚き感心することはあれども、感動にはつながらない可能性が高いから。


実は指揮者にこそそれを望みたいが、ベテランになっても(若いならある程度仕方がない。人生の時間そのものを、まだそう生きているから)まだ瞬間的な印象ばかり追い求め、オーケストラに要求する人もいる。大抵オケは賑やかなだけで、本物のサウンドにはならないのだが、それでもそれなりのファンがいたりする。

これまた、聴衆にも多面性があるからだが、彼らが本当に感動しているのかどうかは疑問だ。コミュニケーション含め、その指揮者の生きざまが人の心の奥底へたどり着こうとしていないのだとしたら、結局時間を流れることが現実である音楽そのものが、琴線まではどうやってもたどり着かないであろうから。


聴衆という人間、その心、感性はそんなに簡単ではない。とにかく真摯に、楽譜と同じくらい探さなければならない。そういう意味で、練習室にこもりっきり、音楽に逃げ込み人を見つめないのは駄目だ。

人は常に私たちに言葉や態度を投げ掛けてくれている。音にも人にも、同じように耳を傾けなければならない。

それができなかった人には、そのうち誰もアドバイスもしなくなる。そんな人の音楽は、鍛練された印象はあっても、心から感動するには至らない。


N響定期。

posted by take at 11:58| 活動報告