2016年06月10日

駅にて 2016


Facebookで見た、今朝の友人。品川駅に下り立つと

「おおみや〜おおみや〜」

とアナウンスが響いたそう。「品川から川越へ通う僕としては、夢のような話です」と書き込んだ。本当は帰路、大宮に着いたら「しながわ〜」なら尚夢度合いが高いが、冷静に考えてみると、例えば行き先反対方向を言ったとか、赤羽辺りでおおみや〜とか、大宮でかわごえ〜ならまだわかるが、品川でおおみや〜は言い過ぎではないだろうか。

「遠すぎ〜遠すぎ〜」



新馬場から北品川、そして品川の二駅で三分の旅。北品川駅では、時間帯が当たると品川女子の高校生(通称シナジョ)が大挙をなして乗り込んでくる。きっと「公共の場、電車内では静かにしましょう」と学校で指導されているはずだが、JKはそう簡単には生きない。扉が空いた途端に車内は鳥の巣のように賑やかになる。

先日、「本当に鳥の声みたい」という意見を聞いたので、目をつむって聞いてみたら、なんとあーた!!、本当に鳥の大群に聞こえるではないか。というか鳥にしか聞こえない。人類ではなく鳥類。

分析してみた。

やはり音域の高さ。そして早口に早口が被り重なるため、母音や子音を聞き取るより早く違う鳴き声が混ざってしまい、結果言葉ではなく

“チュンチュンチュンチュンチュンチュン………”

にしか聞こえない。

しかし一番の理由は、 「内容が無い」だと思われる。



外国人観光客ならまだわかるが、僕の大学の先輩(女性)は、学生時代、駅の看板『入口』を「はいろ」、『出口』を「でろ」と読んでいた。随分親しげであり命令口調でもある駅だ。

数十年経ったとある先日、その人と大阪の某駅で一緒になった。僕がSuicaで改札を通った瞬間

「すご〜〜い!吉川くんのスイカ、大阪でも使えるやつなのぉ?」

大きな声の標準語が、関西人だらけの駅構内に響いた。

「…先輩のでも通れます」

「ええっ!?私のは駄目なんじゃないかなあ。最近ってそうなの?」

「誰のでも、結構前からそうです」

先輩には、Suicaは未来のカードなようだ。


N響定期練習。川越へ。

posted by take at 16:05| 活動報告

2016年06月09日

自分じゃない、違う自分にならない


「示しはするが、極力教えないレッスン」

僕が目指しているもの。期待しているのは、教わるのではなく「自分で気付き、自分で自分を変える」ということだが、実は恐れていることもあってのスタンスです。

それは生徒を

「らしくない方向へ導いてしまう」

ということ。言葉というのは、実はその力を持っている。

生徒本人が、自分の意思で本来の自分の個性と違う人間になろうとする、そちらへ導いてしまう力がある。


音楽の趣向、表現の趣向、音の趣向、場合によっては技術の趣向までも、実は個人個人によって違う。この違いは尊重された上での質の高いパフォーマンス、説得力の高い演奏であるべきだ。

特に、教えを仰ぐ年長者が発するもっともらしい教え、アドバイスは、若き生徒を一気にその方向へあおる力となる。

それは知らなければ試さないが、アドバイス受けた以上なかなか無視しにくいもの。知った以上は試すもの。

言葉による断定的な指標は、特に悩める人間の価値観を支配したりする。


もちろん救える場合もあるだろう。ただ本当に正直に書けば、僕自身が過去言葉で投げたアドバイスだけで生徒の悩みが改善されたケースはとても少ない。実際は投げたものを受け止めながらも、本人の意識と判断で自分を変えていっているのが現実だ。

実は、丸のみ、鵜呑みにして違う方向へシフトして、新たな不具合に支配されてしまう人も多い。


だから、生徒が演奏し、僕も示し、比べてもらうことを願う。

嫌みでは全くなく

「君はそう演奏するんだ。僕はこうするよ」

そして、自分で比べたものの中から何かしら感じ変わっていく。自分自身の選んだことで結果自らを見失わないようになるために。というか自分らしくありながら、故に変わっていけるために。


ある人の文章に、強く共感しました。

「違う自分になろうとしてはいけない」

本当にそう思う。

そうなってしまうか、要領よく判断正しく選びながらになるのかも本人の能力といえばそうだが、下手に導かないように、言葉ではなく、出来る限り音が印象を生むように。

たとえ歩みがゆっくりに感じる人でも、自分自身で変えれれば、我を見失わず歩みを継続できるでしょうから。

そして、いよいよ最期は救いになるような最低限の言葉を発する、その言葉、タイミングがわかるような自分でありたい。


N響定期練習。金管アンサンブル練習。

posted by take at 22:14| 活動報告

2016年06月08日

絶対箱に入れる


楽聖から電話がありました。飛行機に楽器を積んで、出てきたらケースが割れており、ベルも曲がってしまったと。

カウンターで預ける際、ANAなら青、JALなら黒い箱に入れてもらい自賠責のサインをするが、今回何も言われず、でもいつも通り入れてくれるものだと思って確認しなかったらしい。

ハードケースが割れたというのは余程だ。きっと投げたとかいうのではなく、上から思い荷物が落ちてきたのではないかと思う。

サインをした以上、楽器の破損はやはり賠償してくれないらしい。ケースは交渉次第とのこと。

いずれにせよ、楽器がダメージを受けたのが可哀想でしょうがない。ベルを写真で見る限り、本人の落ち込みは相当だろうと思う。

どんなケースでも、絶対箱に入れてもらわなければ駄目です。箱で絶対安全かといえばそうとも限らないが、それでもダメージは違うはず。

改めて、皆さん徹底しましょう。


N響定期練習。金管アンサンブル練習。

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2016年06月07日

沖縄県立芸術大学


今日は、昨年度から行っている沖縄県立芸術大学について書きます。


東京や京都、愛知等の数限られた国公立芸術大学のひとつですが、どんな学舎か知らない人、イメージがわきにくい人も多いのではないでしょうか?

沖縄、離れてますからね。観光に行くイメージはあっても、西洋音楽を学びに行くには、随分遠く感じてしまうかもしれない。

実際僕自身もあまりよくわかってなかった。先生方はかつての演奏仲間も何人かいるのですが、楽聖のムードや校舎のことなどは、未知数のままスタートすることになりました。

いや、全くなかったといえば嘘になる。かつてN響で行った際、楽聖たちとも飲み親しくなり、メルアド交換して連絡取り合ったり、彼らがカルテットのコンクールを受けに上京してきたこともありました。ただ深い理解は、当然ですが通い始めてからとなりました。


場所は、観光スポットとしても有名な首里城の直ぐ横にあります。那覇空港からモノレールで30分。終点首里駅から歩いて10分弱。周りは観光客も行き来するスポットで、ぼちぼち賑やか、でも静か、なんて雰囲気。

楽聖は器楽全体で一学年20人弱。トロンボーンは四学年で四人。大体例年そのくらいの人数のようです。沖縄の民族音楽を習う科は楽聖も多いよう。美術ももちろん賑わってるが、規模等は僕はまだ知りません。

大学のカリキュラムは、多くの音楽大学と変わらない。個人レッスン、オケ、ブラス、室内楽、一般教養。ただ特徴としては副科で三線が習えたりするよう。居酒屋で楽聖ににわかレッスンを受け、一瞬だけ「てぃんさぐぬ花」が弾けたことがある。


楽聖たちは一言で言うと

「皆明るく、そして熱心、ポテンシャルが高い」

唯一彼らから感じられるフラストレーションは「情報に対する渇望」。インターネット等からの情報はもちろん入手しており詳しかったりするが、音大生としてのやまとんちゅうのレベル、ムードや、楽器やマウスピース等道具のラインナップに対する日常的な身近さ、そして何より、「生演奏への欲求」の不満は口にする。

それを言ったら、じゃあ関東の楽聖たちはというと、オーケストラや室内楽、ソロのコンサートまで熱心に聞きにいくかといえばさにあらずで、「お金が無い」「バイトが」「授業が」と、優先順位不明な言い訳をしながら籠り気味。出不精な者も多く、沖縄の楽聖から言わせると「なんともったいない!!」となるのだろう。

そして沖縄も、少しづつ著名な演奏家も訪れつつある。これら情報に対するフラストレーションは、僕も楽聖たちといろいろ話しながら、無意味に感じ過ぎにならないよう発信している。


そんなマイナスイメージより、明らかに僕が感じる特徴は、彼らの貪欲さと変化への逞しさだ。

トロンボーンは現在、僕と井上順平先生二人の非常勤しかおらず、月に一度、三日間滞在し濃密なレッスンをおこなう形になっている。三日間の集中力も大したものだが、不在の一月の間の向き合い方に頼もしさを感じる。レッスンで残った印象、その咀嚼に対して、まさしく貪欲なのだろう。再び訪れた際の変わり方が激しい。スパン短く回数行っている東邦とはまた違うタイプのポテンシャルを感じる。

実際卒業してから、沖縄から直接ヨーロッパ他を目指し学びに飛び立つ人も多いようだ。もちろん大学院に残る人、国内の大学への進学も含め、アクティブなエネルギーもとても感じる。

とにかく、離れた島の学舎だが引きこもった雰囲気はまるでなく、楽聖たちからは明るい積極性と、人としての無類の親切心を感じる。

学生数は数少ないとはいえ皆とても仲もよいよう。トロンボーン、トランペット、ホルンは近年各々のアンサンブルのコンサートも始め、皆総力戦で成果をあげている。降り番は不可能故の、当たり前な逞しさ。余計な思い悩みなく集中して音楽に取り組める環境です。

何より沖縄は、皆さんの想像の通り、気持ちの良い気候と優しい人たち、豊かな文化に満ちた島。受験生の皆さんが、知識もイメージも無いが故目指す対象にならないとしたら、あまりにもったいない本当に良い大学です。


この八月の上旬にはトロンボーンの楽聖四人共が上京し、合宿を経て、13日にはダクのスペースDoにて『沖縄県立芸術大学、東邦音楽大学トロンボーンアンサンブルジョイントコンサート』も開催することになりました。沖縄の風と文化をたっぷり浴びた彼らのサウンド。是非聞きにきてみてください。


レッスン。

posted by take at 15:14| 活動報告

2016年06月06日

れんこん穴リーゼ


熊本、頑張れ。


以前も書きましたが、からしれんこんが大好物で、しばらく携帯の待ち受けにしていたこともあります。(現在は生ビールにとって変わられた)


いや皆さん、大変な謎ですよね、我が日本。


れんこんのあの形状ですから、穴に何か入れてみようという流れはわかります。しかし、一体誰がどのような発想でからしを加工したものを詰めたのか?

からしですよ、からし。


『日本昔話』
熊本藩主細川忠利は生来病弱だったが、ある時前任地(小倉藩領)である豊前国耶馬渓羅漢寺の禅僧・玄宅が忠利を見舞った時に、蓮根を食べるよう勧めた。そこで藩の賄方であった平五郎が、加藤清正が熊本城の外堀に非常食として栽培していた蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に献上しましたとさ。めでたしめざまし。


いやー、わからんね。この歴史の授業だけでは、全くわからん。れんこんを食べる理由と食べる人はわかっても、なぜからしなのか。麦粉は栄養か?とイメージわくが、なぜからし?理由になっとらん。身体に良いということか。滋養強壮か。

からし自体僕は大好物だけど、味がNG、そもそも辛いだけで苦手という人も多いはずです。細川さんの好物だったのかなあ?いずれにせよ、大大大好物の僕からすると、

「平五郎、グッジョブ!! ( ̄▽ ̄)b」

ですけどね。


もうひとつ。この「何故からし疑問」に拍車をかける更なる疑問。

れんこんは穴だらけの人生(根菜生)ですから、人類があれこれ詰めたくなるのはわかる。しかし、からしれんこん以外で、なにかを詰めた料理ってあんまり見たことなくなくないですか。

いや、もしかしたら、どっかの料理屋で創作料理として食べたことあるかもしれん。が、記憶にない。

例えば野菜や、それこそ味付けした味噌や、肉やら魚やら、まあわかりませんが、れんこんと相性の良さそうな色とりどりのものを穴に入れてですね、煮るなり蒸すなり焼くなり。で輪切りにして、良さげな皿に盛り付けると、目にも艶やかな料理になる気しますよね。れんこん自体地味な色なので、逆に華やかでお花畑みたいになると思うし、多彩な味が楽しめると思うのですが。そんな料理の数々、良くなくなくないですか。

でもないですよね。僕が知らないだけ?

そして、日本では平五郎によりからしが詰められた。う〜ん、謎ぢゃ。


熊本、頑張れ!!


川越へ。

posted by take at 09:59| 活動報告