2016年06月15日

とにかく戦う


貞子さんと伽椰子さんが対決するらしい。タイトルは、映画『貞子 vs 伽椰子』。

僕は貞子さんは、その恐ろしさを存じ上げているのですが、伽椰子さんの方はよく知りません。ただテレビで見る限り、かなりお怒りのご様子で、色白のお子さんも機嫌良くなさそうなので、あの貞子さんでも苦戦するかもしれません。

舌戦じゃないでしょうね。怨戦、念戦、呪戦なのでしょう。気弱な私は、もう直ぐに謝っちゃいますね。恐ろしくてしょうがないすもん。


それにしても、思いもつかないことが実現する時代ですね。まあ、エイリアンとプレデターが戦う時代ですし、アメリカンヒーローたちも揃って映画に出ますからね。三人以上だと、ダブル主役なんて範疇超えちゃうので、サミットじゃないけど記念撮影の時のたち位置に気を遣いますね。


こうなると、積年の夢である

『ゴジラ vs ガメラ』

を実現するしかないでしょう。これはN響のアニソン好き巨匠はじめ、多くのおっさんたちが一度は観てみたい、なんなら出てみたいと思っている映画です。

ただ具体的に妄想すると、どうしてもゴジラの方が圧勝になる印象がある。

ちょっとデータ見てみましょう。

ゴジラ
身長:50メートル
体重:2万トン
武器:放射能火炎
いろいろいるんですが、コレよく現れる一般的なやつです。

ガメラ
体高 35メートル 8メートル 30メートル
全長 55メートル 10メートル 50メートル
体重 1,200トン
武器 火球噴射

二人共、海も潜ったし宇宙も行ったのでキャリアは十分。でもやっぱりガメラの方が分が悪いですなあ。身体はおんなじくらいの大きさですが、体重がねー。武器もゴジラの方がたち悪いし。

ガメラの方が達者に空飛ぶので撹乱作戦なんかはいけそうですね。ゴジラも地味に飛んだことあるんですけどね、まあ低空コントでしたから。

実はゴジラはおバカでガメラは策士というのはどうでしょう。怪力のみのゴジラに対して、頭良く策略家。落とし穴掘るとかね。最期ゴジラは落ちてマグマにのまれましたとさ。


コラボもここまでくるなら、そのうち『トムとジェリーとキティとガンバ』って、ネコとネズミのチーム戦とか、この際もう出るだけ出て

『トムとジェリーとキティとガンバとラスカルとニモとドリーとパンダコパンダ vs ミッフィー』

とか。


あー、バカな妄想してたらフライトの時間になりました。沖縄へと跳んできます。


沖縄県芸レッスン。

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2016年06月14日

自分へのエール


「人の悪口を言うと、自分自身が傷つく理由」というのを読んで、メンタルコントロール、性格形成の理解が深まった(気がした)ことがあった。

脳科学の話。自分の発言に関して、脳は主語を理解出来ないという特徴があるので、他人の悪口を自分へのものと判断して落ち込んでしまうことがあるというもの。ただの罪悪感ではないという話です。

そのしんどさを紛らし、溜まったストレスを発散しようとしてまた悪口を言い、どんどんネガティブなキャラクターになっていくパターンもあるのかもしれません。

「傷つきやすい人ほど、他人を攻撃する」というのも当てはまる人もいて納得しがちですが、この脳の話からすると、結局自分自身で傷つく体質になっている可能性もありますね。


この話題で、実は更に興味深かったのは

「ゆえに、他人を褒めると、脳は自分のことと理解(勘違い)し高揚したりする」

というもの。根拠なく自分を良いと思ってしまうという、かなりおめでたい効果です。自信がもてる前向きな人生というのも、実は自分で導いていくことなのかもしれません。


これら悪口や褒める言葉だけでなく、自分の様々な発言が、先の時間、人生にかなり影響があるのではないかという気がしてきました。メンタルに暗示をかけることは実際多いのでしょうし、自分の発言で生き方が定まり、更なる発言で導かれていくこともあるのでしょう。

価値観が、確信なく話しつつ徐々に自分のものになっていったり、好き嫌いが、モラルでしゃべっりながらも気がついた時自分の信念になっていたり。


何か困難やハードルを目の前にした時、「自分は大丈夫」、「自分ならできる」等、ポジティブな展望を自分に語りかけることは大事でしょうね。

他人のいるところで、「自分は素晴らしい」みたいな発言は、周りとの距離もできそうなので控えた方が賢明だと思いますが、ひとりきりの時なら、自分にエールを贈るという意味で

「お前ならできる」「お前なら大丈夫」「お前は勝てる」「お前は成功する」(修造風)

なんて言葉を、自分に向けて発するのはいいんじゃないですかね。脳がその気になって、緊張をほぐし、実力がガッツリ発揮できる状態になるかもしれません。

実際僕も、コンチェルトやリサイタルの本番直前、グーッと緊張してきたら(場合によっては逃げ出したくなることもある)、楽屋で自分に話しかけたりする。

「何緊張してんの。初めてじゃないでしょ。もう何十年も、何十回もこうやって舞台に出ていって、なんとかなってきたじゃない。ビギナーじゃあるまいし、緊張してあがるようなタマじゃないでしょ。大丈夫よ。なるようになる」

すると、スーッと落ち着いてくるものです。


自分自身をおめでたいテイストで励まし、エールを贈る。上手くいけば、他人の力を借りずに、人生の様々な選択を間違うことなく、好転への道筋へともっていけるかもしれません。


川越へ。ジパング。

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2016年06月13日

味わい深い性分


僕が学生の頃、今から30年くらい前を思い返す。

トロンボーン(に限らずだが)の、全体的な技術レベルは今より低かった。楽器が今のものより響きにくく、抵抗が強かったというのはあるが、それよりもトレーニングの仕方、目標サンプルとするレコードやCDが限られていたというのはある。中学生(今なら小学生)で楽器をスタートする時に聞く演奏、その技術の当たり前が違うというのもある。

ジョー・アレッシに言わせると「現代は、あの時代と違って“正しい吹き方”をする人が増えた」。これを裏返すと、間違った奏法が横行していたと言っていることになる。


ただあの時代だって、上手い人は上手かった。アービー・グリーンなんて、信じられないくらいいい音で、びっくりするくらい上手いが、彼のあのレコードたちは1950年代のもので、日本でいえば昭和20年代だ。想像でしかないが、日本との格差もイメージがわく。

レコードで聞いたアルミン・ロジンやロナルド・バロン、ベンゴロフスキーやヘルソンスキー、今でも来日する人ならスローカーやベッケ、皆さん現代の名手たちにひけをとらずバカうまである。

現代は底上げが実現し、プロアマ、日本世界のフィールド全てにおいて、みっともなく聞こえる人が減ったとでも言えるか。音色の不快述べ人数が減り、難易度の高いパッセージの音が並ぶ述べ人数が増えたという感じ。


ただ前述のプレイヤーたちはじめ、あの頃にあり現代では影をひそめたものがはっきりとある。


それは、味わい深い演奏


ロジンもバロンも、ベンゴロフスキーもヘルソンスキーも、スローカーもベッケも、現代の人たちの演奏よりずいぶん味わい深い。言わずもがな、もちろんアービーも。彼らしかやらないだろう、かなり特徴の際立った吹き方だ。

そしてはっきりしているのは、「もう一度聞いてみたい」と思わせられるのは、洗練されて、とにかく上手綺麗なものよりも、彼らのような演奏だということ。

夕べ飲みながら、飲み屋や料理屋でもそうだという話になった。チェーン店は平均点高く、ある意味安心感はあったりするが、また味わってみたいという店は、個人の個性が出てる店となる。

物を買うのでもそう。コンビニは物凄く便利で安心感が強いが、個人の趣味を更に求めにいこうとするとそれは結局手に入らず、より限られたジャンルや物を扱う店へと向かうことになる。

民主主義に愛情も相まり、研究や努力の甲斐もあって、万民に対する高品質の提供、並びに質の悪いものの排除は実現されつつある。(人としての質はさにあらず)

しかし本当に素直になれば、愛したい、手元に欲しいものは、実は味わい深いものではないだろうか。

演奏に関して言えば、ひとつはっきりしているのは、味わい深さというのは、習ったり外から注入したり真似たりするものではなく、

個人の性分

が生むものだろう。誰がなんと言おうがそう吹きたいし、そう吹いてしまう。

それは、グローバルを少なからず意識しながらも、どこかで周りの耳(目)を気にしない、気にしてもやっぱりそう吹いてしまう、そんなエゴ風な性分。

そして、そんな人たちは言うだろう。

「だって、これくらい、こうやって吹かないと、聞いてる人は喜ばないし感動しないでしょう?」


なんとかしてかくありたいし、そんな演奏家を育てたい。


N響ブラスアンサンブル、音楽鑑賞会本番。

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2016年06月12日


好き嫌いのない僕でも、コーヒーは飲まない。飲めなかないんですがね、美味しさがどうしてもわからんのですよ。50年間、ことあるごとにチャレンジしてるんですがね。あと特保ののみものがねぇ。へルシアも何回か飲んだことはあるんですが……イメージがね、どうしてもありますね。Kみたいなマークのヤツのね。苦く渋いなんて。


昨日自販機で、何気なく烏龍茶を押したら……あら、トクホのでした。

「うっ、トクホを買ってしまった」

まあ大人ですし、身体にいいし、そういう年齢ですし。多少苦かったり渋かったり。知ってますよ、でも飲めないなんてことはね、あるはずな

………うっ、ニガッ

で、でも飲めますよ。ただ、二口目の時に、ちょっと緊張している自分がいたりしたりらりらりらりるれ。


定期が終わりNTTのレッスンへ。

レッスンの部屋に入っていくと、いつものようにペットボトルを用意してくれています、ありかた……

トクホや

いや、本当に有難いものです。二日続けて、普段は好んで飲まないトクホとの縁。もうこうなると、ジョークにするしかない。


たけ「皆さん、いつもお茶、用意していただいてありがとうございます。いえね、トクホですけどね、決して苦手なんてこたーないんですよ。大人ですしね。子供じゃあないんだから。飲めないなんてこたーあるはずがない。美味しくいただきますよ、もちろん健康にいいし。

飲めないなんてったらね、ほら女の子にコクってもフラれちゃいますよ。え〜〜、大人の男のくせにトクホも飲めないんですかぁ、ワタシそんな人とは付き合えません、なんてね、ね!」

メンバーの女性にふってみた。すると、彼女は瞬時に話を合わせてくれた。

「ははは。ですよね。そんな人、絶対無理ですね。でも、いますよね、コーヒー飲めないとか、ミルクと砂糖入れないと飲めないとか」

たけ「…………」


レッスン。N響定期。NTTレッスン。

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2016年06月11日

音なのロマン


問題です。

以下の発言はあるトロンボーン吹きのものですが、何歳の人のものでしょうか?


「爆音は、男のロマンだよね」


A,10歳 B,20歳 C,30歳 D,40歳 E,70歳


正解はA。小学四年生の発言。生徒が教えにいった小学校、四年生二人のレッスンだったそうだが、そのうちの一人がそう言って、目一杯吹くのだそう。

「とにかくその子なりにデカイ音が出ることを、私にアピールしたいみたいだったんですよ」

たけ「いやあ、いかにもオトコらしいパターンだね。女子ならそうならないよね」

まあ口にしているが、本当のロマン、その奥行きがわかる歳ではとうていない。大人のロマンは、切ない哀しさも滲むものであり、ため息は深海より深いからね。

たけ「それでなんて言ったの?」

「爆音だけでいいのかな?って。ていうか、私の方がおっきな音が出ることを示そうかと一瞬思ったんですけど、その後のレッスンが面倒くさいことになりそうなのでやめておきました」

ふむ、さすが僕の生徒、実に賢明だ。


ただ小四のこの発言、どうでしょう、今後の育ち方次第だが、ある意味頼もしいじゃあないですか。汚くなりたくないと、絶対mp以上で吹こうとしないスタンスより、未来に可能性を感じる。


更にイメージしてみて、皆さん、問題の選択肢にある年齢次第で、この発言をする人に対するイメージと、感じる可能性が違ってきませんか?

20歳は大学生。若気が至りまくって、学生のりがノリノリ。爆音もノリでバコーン。語るロマンも、コンパで騒いだ後の不器用な恋愛とともに、しょっぱくも切ない思い出として。

30歳になっても爆音なら、かなり考えた方がえーな。体力も社会でのたち位置の慣れも逞しいはずだが、だからこそそれだけでいいのかな?君には爆音以外の音は、聞こえてこないかい?

40歳になってこの発言なら、手遅れ感充満。この年齢だと、僕の生徒に限らず、周りの誰も「ちゃうやろ!」と言ってくれなくなっている。ま、本当に巨大なダメージを受けない限り、先の未来は暗い。


でもね皆さん、僕辺りの50歳、そして60歳すっとばして、70歳の人が言ったのだとしたら……


そら拍手喝采ですよね


なぜなら、そこには熟成しきった本物のロマンがあるのだから。


N響定期。

posted by take at 21:00| 活動報告