2016年06月20日

自然にしなやかに


スライドをどう動かすかは実はとても大事で、僕自身はビデオのレッスンを始めて、客観的に楽聖や自分の動きを見て、理屈を築き上げてきた。

最近は雑誌でもスライディングの重要性について投稿するプレイヤーもいて、若者たちを見ていても洗練されていっている人も多いので、あちこちレッスンの場面でもアプローチがあるのでしょう。


僕は、自分が吹くビデオを見て「ふーん、こんな風に動かしてたんだ」と。つまり自分で考えたり練習したことはなかった。ある楽聖がそんな僕のビデオと見比べて「私のは、先生と比べると〇〇みたいな動かし方です」と。(女子が使うにはあまりに汚すぎる言葉なので、想像にお任せします)

つまり、僕のは結構自然で悪くなかったのです。腕の角度や様々なパーツの動く割合、関節の使い方。自分の音楽感を体現するために自然と動かしていただけだが結果悪くはなかった。

そこから見つけたやり口を楽聖たちとも共有していた。ただ、良くなる人いれば、なかなかいかない人もいた。


現在楽聖たちと試しているパターンは、スライドの動かし方は

「二の次」

である。まさに二の次。全く無視しているわけではなく、最優先することの後に添え物のようについている。

とあるこのやり方、僕が見る限り、様々なことがかなり改善、洗練される。

そして彼らの口から出るのは

「結局、スライドのことは意識してません。ていうか、余計なあれこれ、いろんなことを意識しない」


結局、それか!!


楽器も音楽も身体も複雑なので、細かい理屈は知りたい。知ることによって、様々な癖に対応したい、そして演奏の真理にたどり着きたい。

しかし最後は、意識から理屈がいなくなるようなやり方へと昇華しなければならない。

演奏とは、ただ喜びと瞳の輝きだけを持って、一心不乱に取り組むもの。

理屈とやり方を込めても、人間を模したロボットと私たち人間の動きの差のように、

「自然にしなやかに」

という壁が最後は立ちはだかる。


N響、定期練習。川越へ。

posted by take at 23:41| 活動報告

2016年06月19日

声たち


積水ハウスのコマーシャル、最近ものは例の有名な音楽がいくつかのアレンジで流れている。

混声合唱のものがとても印象に残る。

「……いい曲だなあ」

楽聖たちにその話をすると、YouTubeにいくつかあがっているという話題になった。「いくつもってどーゆーことよ」「合唱団の定期演奏会のもあります」「なぬ?」

調べてみると、信長貴富さんの編曲で、合唱ピース『積水ハハウスの歌』というのが出版されており、様々な団体で歌われているようなのだ。

かなり前から、何度となくこの曲をテレビで聞いてきたはずだが、今回合唱のものでその魅力に初めて気付くことになった。聞けば聞くほど感じ入るものが多い。



ブロカートの合宿が終わり、団員の車に乗せてもらい帰ることに。一人で先に乗り込み、5分程皆を待つことになった。身体はくたくたで疲労のビーク。ラジオから合唱曲『群青』が聞こえてきた。

自然と涙がわいてきた。

「今ね、ラジオで合唱やってて、多分群青って曲だけど、なんか涙出てきちゃってさあ」

「身体が疲れきってて、涙もろくなってんじゃない?」

「多分そうだね」


調べてみた。『群青』は、東日本大震災被災後、福島県南相馬市の小高中学校の生徒たちが、離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり書き留めた言葉の数々を、同校の小田美樹教諭が綴って曲をつけた作品。やはり信長貴富さんの編曲で、様々楽譜が出ているよう。

聞いている時は、震災うんぬんはわからなかったが、心にしみたのには、確かに理由があったようだ。



随分前だが、マエストロ・スベトラーノフとの定期で、チャイコフスキーの三大バレエの抜粋をやったことがある。本番のNHKホール舞台上、斜め後ろにいた子供コーラスが歌い出した瞬間、物凄い勢いで涙が溢れ、自分で驚いたことがある。想定外でもあり、その時コントロールきかなかった感情そのものを今思い出すのは困難だが、どれだけ年月が経っても忘れられない、ステージ上での思い出のひとつとなっている。


声には凄い力がある。私たちの心をどう揺さぶり涙を生むのか、詳しいことはわからない。歌詞から受け止める感情が声色にのり、それが聞くものの琴線にまで届くことはあるのだろうし、群青のようにバックボーンが思いやエネルギーへと変わり、そうやって生まれた音楽の力が声にこもるともあるだろう。歌詞はなくとも、純粋な声色から我が感性の生きざまを振り返ることだって、不意に訪れる。 理由はわからないが、きっと真実はある。

声には、人間を変える力が確かにあるのだと思う。


ブロカート、合宿。

posted by take at 16:01| 活動報告

2016年06月18日

身体が動く順番


かつて脳の病気でリハビリを受けた人から、言われたことがあります。

「人間の身体って、動かしている順番があるんですよ」

例えば椅子から立つ時や、普通に歩く時も、筋肉を動かす順番があると言う。

アシモ君のようなロボット見てたらわかりますね。人間の身体の動きを研究しつくしてインプット。パーツを順番に動かすことによって、歩いたり、握ったり、様々な動きをしているのはわかりやすい。

普段は考えずに出来ていること、同時にいくつもやっている気がしますが、実は順番があるようです。


楽器を吹くのも順番がある。

脳から指令が出て、そのタイミングで音を出そうとまず息を吸う。そして舌をつく。するとついた後に息が出る。息が出てから唇は振動する。振動してから音になる。

同時のようだが、順番はある。振動しなければ音にならない。息が出なければ振動しない。(ノンタングは置いておいて)舌をつかなければ息は出ないのだから。

そしてスライディングとの関係。

実はこの順番が、とても大きなポイントだと意識しはじめています。

それを、無意識でも正しく使えている人は自然に上手く吹けている。上手く吹けてない人は、順番のどこかが狂っている。

使う筋肉の順番を間違えると歩けないように。

それが的確にわかれば、トレーニングの仕方も的確になるはず。

研究研究、また研究。そして、少し見えつつあります。


ブロカート、合宿。

posted by take at 22:07| 活動報告

2016年06月17日

ハブ vs 満愚す

2016061713250001.jpg2016061713450000.jpg


ハイサイ!!

「先生、お昼、はぶ食堂にいきませんか?」

ハブ食堂?ヘビでも食うんか?

那覇港の近くにある『波布食堂』は、学生たちの間でもなにかと話題になってきた店のよう。

「僕らも行ったことないんですけど、凄く量が多いそうなんです」

たけ「あのさ、あかばなー(県芸近くの食堂、凄く量が多い)は量が多いの?それとも凄く量が多いの?その“うちなん物差し”凄く重要な価値観情報なんだけど…」

去年、いきなりあかばなーで凄い量の洗礼を受け、「沖縄は基本量多め」「そして安い」というのは理解できていた。お弁当なんかも量たっぷりで300円前後だったり。500円の『1キロ弁当』なんてのもあると聞いた。

そんなこの島で「凄く多い」というのは、興味はあるがなんだか恐ろしい。あかばなーくらいだとなんとかいけそうだが、それ以上だと……

「大丈夫です。残すと持ち帰りもできるようです」

たけ「よし、行こう!!」

やっぱり「食えるものなら食ってみろ」とあおってくる店相手に、「いや結構」と辞退するなんざ、にっぽん男児がすたるというもの。えー、50で男児ですがなにか??

本当はお腹いっぱい食べてほしいという、おばあおじいの優しい気持ちの量なんですがね。


海沿いの食堂、凄く賑わってい………な、なんじゃー!!!客が食べている麺やご飯、その量が噂以上に物凄いではないか!!!!!

レバニラ炒めは大きな皿に丘のように盛られている。広大な丘、その高さは10センチはあろうか。香川の屋島のようだ。

かつ丼、大きなどんぶりからご飯が3センチほど上に盛り上がっている。その上にカツが3層に盛られており、高さは軽く約15センチくらいか。小サイズの沖縄そばが付いているぞ。

学生が頼んだカツカレー、これも皿より盛り上がるライスに、大振りカツが2層。ルーはお玉3杯分ほどかかっている。マカロニサラダとミニ沖縄そば付き。

僕と楽聖の一人は『肉そば』を頼み、とにかくドキドキしながら来るのを待っていると、隣のテーブルのおっちゃんのが先に到着。そのどんぶりの上の炒めものは、な、なんと活火山のようなてんこ盛り。一人の人間が大人しく味わうなんて範疇を超えている。肉野菜炒めは既に噴火しており、はっきり言って異様な姿。

隣のおっちゃんは半分ほど食べたところで白旗打ち止め、うなだれた姿を横目に見る我々の前に、ついに火山が登場した。

さあ、どうする?吉川、食べきるのか?残すのか?そもそも麺までたどり着けるのか? ハブに立ち向かうマングースと化した僕と楽聖は、汁や野菜がトレーにこぼれるのもいかんともできず。

途中で止まったら、そこで終わりになる。そう思った我々は、ただただ無言で食べ続けた。途中全身から汗が吹き出て、水も入らず意識を失いそうになったが、年甲斐と大人気のない負けず嫌いはなんとか持続。そしてついに完食。ちなみに盛り上がった炒め山の半分が肉でした。


マングースには達成感はなく、ただただ山のように突き出た胃を労りながら、大学へと戻るのでした。

うちなんちゅーに聞いたところ、量の多い沖縄でも最強ランクだと。この南の島は、なかなかにサバイバリーな島でもあり、充分なんくるありました。


沖縄県芸、レッスン。帰京。

posted by take at 21:28| 活動報告

2016年06月16日

若者たち


朝テレビを観ていたら、若者たちの愚かしいおバカビデオの数々が流れていた。

自分たちで撮影し、自らネットに投稿している。恥ずかしいこと、駄目なこととの意識は無いようだ。スーパーの売り場で男女数人で騒ぎながら踊っている。大学のサークルのようで、その学校の学生が否定的に語るインタビューも流れていた。

自分の昔を思い出すと、似たようなもので恥ずかしい。歳をとったからといって、あれこれ言うのも完全に棚上げ。

主導する者、賛同して参加する者、あかんと思いつつもやっちゃう者、悪のりの構成員もいろいろだと思うが、前述の否定的コメントの学生のように、客観的であり、そんなことしない若者も多いはず。

当然だが、みんながみんな愚かしいわけではない、どの時代でもどちらの立場もいる。


昨日の朝の羽田空港、那覇行きのカウンターへ行くと、高校生の大群。どうやら乗る飛行機、百人どころじゃない人数の修学旅行生と一緒のよう。

当然賑やか。動きも激しい。先生が指導しても、うるさい連中はうるさい。楽しくてしょうがないみたいだからしかたがないのだが、男子のワイワイ、女子のキャイキャイに支配されており、我々数少ない一般の大人は隅の方で大人しくするばかり。

ただ、やはり中には騒ぐ連中を冷静に見つめ、時折

「静かにしなよ」

と、見かねたようにたしなめている高校生もいる。男子も女子も、それぞれにいる。

やっぱり、どの時代も周りが見えない者とずっと気にしている者、両方いますね。


離陸時は 「ギャ〜〜〜ッ」との叫び声も多数上がり、そのスイッチOFFにできない電波のような声で飛行機が落ちないかと、一緒ビビる。


ひとつ印象深かったのは、トイレを立って待つ数人の女子高生、サービスに励むとある美人キャビンアテンダントをじっと見つめている。凝視して外さないその眼差しには、強い憧れが滲んでいるように見えました。

CAも見つめられていることは、意識しているかもしれない。というか、10年前は彼女も同じ目で見つめる側だったのかもしれない。

若者たち。彼らは今いろいろな表現をするが、未来はどうなるかは可能性が拡がるばかり。本当に様々な未来が待っている。


沖縄県芸、レッスン。

posted by take at 19:27| 活動報告