2016年05月18日

世の中のため、人間のため


『アメリカ、アトランタ交響楽団のコントラバス奏者、ジェーン・リトルが15日この世を去った。87歳だった。彼女は世界で最も長いキャリアを持つオーケストラ団員だった。第二次大戦中の1945年2月、16歳でアトランタ交響楽団の前身にあたるアトランタ・ユースオーケストラに創立メンバーとして加入。その後、約71年に渡って同楽団に在籍した』


このニュースを、シェアしていた人がたくさんいました。日本では考えられない年齢、ステージ上演奏中に亡くなったこともあり、演奏家の立場としては、様々感じることが多いのでしょう。


僕は、やはりアメリカらしい価値観、

「年齢と生命力をリンクさせるイメージ、及び定義の無意味さ」

を一番に感じました。

アメリカ人が嫌がる年齢の話、日本人は好きで、

「もう二十歳、私オバサン」

から始まり、「もう30歳」「もう40歳」「もう50歳」と、日常会話もテレビも煽る煽る。会社も一律60歳で定年(いずれ一律65になりますね)。還暦なんていうと、もう人生の大半終わったみたいな雰囲気で、本気で「お疲れ様でした」と。

本当は個人差があるから87才になるまで現役オケマンとして生きる力に溢れている人いれば、20代から「くたびれた、しんどい、もう無理」ばかり連発、実際気力ややる気を感じない人もいるのが現実。

実際自分たちも、社会的イメージを語ることで自分が影響を受けがち。「もう、〇〇才だから、体力落ちてきて、記憶力が……」

本当かな? 自分が自分をそのイメージにあてはめることで、結果自らを無意味に衰えさせてないだろうか?


見た目が変わるのは仕方がない。白髪が増え、シワが増え。仕方がないのに見た目を若々しく、と煽るエネルギーは強い。「若く見える」ためのグッズは、朝から晩までCMを賑わしている。 「見た目を若々しくしたら、内面も変わる」というのはわかるので、意味がないとは思わないが、しかし人間の本当の価値をはかるとして、見た目でないことは誰しもが潜在的にわかっている。


見た目でないなら、人間の価値、その最も素晴らしいことってなんだろう?


社会というコミュニティにいる以上、社会貢献というのはポイントとしてある気がする。ただ仕事で云々だけでなく、家族や周りの幸せ、そして何より自分自身の幸せのために、生き甲斐に溢れ気力に溢れ、明るく元気な人生を送れる力があることなんてことだとしたら 「世のため人のため」改め


「世の中のため、人間のため」


という言葉は、適切かもしれない。


N響定期練習。川越へ。

posted by take at 22:35| 活動報告